らう。かすかに伝ひよる衣ずれの音。そこはかとなく心に染むそら薫《だき》もの。たゆたひ勝ちにあはれを語る初更のさゝやき。深くも恥らひつゝ秘むる情熱――これらの秋は日本古典の物語に感ずる風趣である。秋それ自身は無口である。風と草の花によつて僅にうち出づる風趣である。だが、かそけきもの、か弱きもの必ずしも力なしとはいへない。しなやかさと真率なることに於て人生の一節を表現し巌《いわお》の如き丈夫心をも即々と動かす。上代純朴なる時代に男女の詠めりし秋草に寄する心を聞けば
日置《へぎの》長枝《ながえの》娘子《をとめ》
秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくもわが念《おも》ほゆるかも
大伴家持
吾が屋戸《やど》の一枝萩を念《おも》ふ児《こ》に見せずほと/\散らしつるかも
萩、桔梗、女郎花は私に山を想はせ、刈萱は河原を、そして撫子と藤袴は野原を想はせる。これ等はその生えてゐる場所にかうはつきりした区別が勿論あるわけではないが、私はかういふ連想を持つのである。それは幼い頃野山を歩いて得た印象からかも知れない。
私は秋の七草の中で萩が一番好きだ。すんなりと伸びた枝先にこんもりと盛り上る薄紅紫の花の房、幹の両方に平均に拡がる小さい小判形の葉。朝露にしつとりと濡れた花房を枝もたわゝに辛ふじて支へてゐる慎ましく上品な萩。地軸を揺がす高原の雷雨の中に葉裏を逆立て、今にも千切り飛ばされさうな花房をしつかりと抱き締めつゝ、吹かるゝまゝに右に左に無抵抗に枝幹をなびかせてゐる運命に従順な萩。穏やかな秋の陽射しの中に伸び伸びと枝葉を拡げてゐる萩。
萩は田舎乙女の素朴と都会婦人の洗練とを調和して居るかと思へば、小娘のロマン性と中年女のメランコリーを二つながら持つてゐる。その装ひは地味づくりではあるが、秘かな心遣ひが行き届いてゐる。
幼い頃、多摩川原近くの武蔵野に住んでゐた私は、刈萱に人一倍の愛着を感ずる。野原一面に叢生する刈萱は雑草の中に一頭地を抜いて蟠簇《はんそう》してゐる。強靭な葉茎と鋭く尖つた葉端は何ものも寄せつけまいとするやうな冷酷さを示してゐる。その灰白色の穂はニヒリストのやうな白々しさしか感じさせない。据傲《きよごう》な刈萱を見れば、いつしか敵意を感じて、穂といふ穂を打つて見たくなる。近寄つて手を差延べれば、その鋭利な葉は直ちに皮膚を切りつけて攻勢をとる。幾
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