、蛙《かえる》のやうに見える。
 箸《はし》を箸箱に仕舞《しま》ひながら、彼はおおさうぢやと気がついて、部屋の隅からざるで伏せてあつた小鍋を持つて来て箸を突込み、まづさうに食ひ始めた。鍋にはどぜうが白つぽく煮てあつた。彼はこれを喰べるとき、神経質に窓や裏口を睨《にら》んだ。五十七歳で左眼をつぶして仕舞ひ、六十五歳でその左の眼がいくらか治つたかと思ふと、今度は右の眼が見えなくなつた。それから死を待つ今日まで眼の苦労は絶えなかつた。
 どぜうがよろしいと勧める人があるので食ひ続けて居るのを、一度わからずやの僧侶に見つかつて、人間は板歯で野菜|穀《こく》もつを食ふやうに出来てゐる。どぜうなど食ふは殺生《せっしょう》のみか理に外《はず》れてゐる。とたしなめられ、その場は養生喰ひだと、抗弁はしたものの、その後は、食ふたびに気がさした。死ぬのに眼などはもうどうでもよろしいではないかと思ひつつも養生はやめられなかつた。
 小さいとき驚癇でしばしばなやまされながらも、神経の強い彼はときどき妄想性にかかつた。狐狸《こり》の仕業はかならずあるものと信じて居た。内心|忸怩《じくじ》としながらかうやつてどぜうの骨をしやぶつてゐるときには、あの忠告した坊主がほんたうは自分も食ひ度《た》いのだがそれが食へぬので、あんな嫌がらせをいつたので、それを押して食つて居る自分を嗅《か》ぎつけたら、うらやましくなつて、何か化性にでもなつて現れて来るやうな気がした。事実その姿は変に薄つぺらな影絵となつて障子《しょうじ》の紙から抜けたり吸ひ込まれたりするのを彼は感じた。すると彼はいつそ大胆になつて、わざと大ぴらにどぜうを食つて見せるのだつた。それで影絵が消えて仕舞ふと、彼は勝利を感じて箸をしまつた。南禅寺の本堂で、卸戸《おろしど》をおろす音がとどろいた。その間に帚《ほうき》で掃くやうな木枯《こがらし》の音が北や西に聞えた。彼は行燈《あんどん》をつけてから、煎茶《せんちゃ》の道具を取り出した。
 彼は後世、煎茶道の中興の祖と仰がれるだけにこの齢になつても、この道には執著を持つた。むしろ他の道楽を一つ一つ切り捨てて行つて、たつた一つを捨て切れず、残した好みであるだけに全身的なものがあつた。「茶は高貴の人に応接するが如し、烹点《ほうてん》共に法を濫《みだ》れば其《その》悔かへるべからず」これが、彼の茶に対するときの
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