はある。しかしそれに凝《こ》ったにしても到底《とうてい》女の範囲《はんい》にまで進んで来ることは出来《でき》なかろう。
女でも化粧しない人がある。化粧しないでも美しい人がある。しかし、そういう人はまれである。そして、そういう人も化粧すればなお美しくなる。そして、そういう人も年が三十にかかればどうしても化粧の手を借りなければいくらか醜《みにく》くなる。
化粧するのが面倒《めんどう》でしないのは仕方《しかた》がない。化粧しないでも美くしいと自信をもって、しかもしないことを平気で居《い》て、他人のすることをまた他人の仕業《しわざ》として平気に眺めて居るのはいいが化粧しないのを自慢にしたり、他の女がするのを軽蔑《けいべつ》したりするのは愚《ぐ》である、傲慢《ごうまん》である。女性の何人《なんぴと》も化粧をするのは好《よ》い、可憐《かれん》である。美女は美女なりに、醜女《しこめ》は醜女なりに、いかにも女性の心の弱さ、お洒落《しゃれ》さ、見栄坊《みえぼう》であることを象徴して好い。
美女が化粧《よそお》えば一層《いっそう》の匂《にお》いを増《ま》し醜女がとりつくろえば、女性らしい苦労が見えて
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