》の父の館《やかた》に呼び寄せられ、まだ十四|歳《さい》の少女であったが、以来日々、茶の湯、学問、舞《まい》、鼓《つづみ》など師匠《ししょう》を取って勉強していました。今年十七の春父が急いで国元へ引返す際、彼《かれ》はすぐに騒《さわ》ぎを打ち鎮めて京へ帰れる見込みで、留守《るす》の館には姫の従者として男女一人ずつ残しておきました。もっとも生活費は剰《あま》るほど充分《じゅうぶん》残して行きました。
ところが、それからだんだん国元の様子が父に不利になって来て、近頃《ちかごろ》ではまるっきり音沙汰《おとさた》もありません。噂《うわさ》には一族|郎党《ろうとう》、ほとんど全滅《ぜんめつ》だとの事です。すると、早百合姫に附添《つきそ》っていた家来の男女は、薄情《はくじょう》なもので、両人|諜《しめ》し合せ、館も人手に売渡《うりわた》し、金目のものは残らず浚《さら》ってどこかへ逃亡《とうぼう》してしまいました。
父の行方《ゆくえ》の心配、都に小娘一人住みの危《あや》うさ、とうとう姫も決心して国元へ帰ろうとほとんど路銀も持たずただ一人、この街道を踏《ふ》み出して来たのでした。しかし、旅支度さえ充分でない上にすぐと悪漢達に追いかけられたりして、姫は全く不安と饑えとで、疲れ果ててしまったのでした。
姫は言い終ってさめざめと泣きました。
「せっかく、救《たす》けて頂いたようなものの、行先の覚束《おぼつか》なさ、途中《とちゅう》の難儀《なんぎ》、もう一足も踏み出す勇気はございません。いっそこの川へ身を投げて死にとうございます」
またさめざめと泣き続けます。昭青年はこれを聴《き》いて腸《はらわた》を掻《か》き毟《むし》られるような思いをしました。そして、彼女《かのじょ》を救う一番いい方法は、寺へ頼《たの》んでしばらく国元の様子の判るまで置いてもらうことだと思いましたが、乱世の慣《なら》わし、同じような悲運な事情で寺へ泣付いて来る者がたくさんあって、それをいちいち受容《うけい》れていたのでは寺が堪《たま》りません。まして女人の身、いっそう都合《つごう》が悪いのです。寺で断られるのは知れ切ったこと。しかたなく昭青年は言いました。
「まあ、生きておいでなさい。どうにかなりましょう。食事は私が粗末《そまつ》ながら運んで来ますから、しばらくこの辺のどこかに忍《しの》んでおいでなさい。人に見付からぬように」
昭青年だとて、先にあて[#「あて」に傍点]があるわけではありませんが、差当って今の取り做《な》し方としては、これ以外に無かったのでした。あたりを見廻《みまわ》すと、幸い、苫《とま》で四方を包んだ船がある。将軍が大堰川へ船遊びの際、伴船《ともぶね》に使う屋根船で、めったに人の手に触《ふ》れません。昭青年は苫を破り分けて早百合姫をその中へ入るよう促《うなが》しました。
姫はさほど有難《ありがた》いとも思わぬ様子でしたが、それでも嫌《いや》とは言わず、船の中へ隠れました。そして言いました。
「淋《さび》しいから食事の時以外にもなるたけ、ちょいちょい訪ねて来て下さいましね」
二
寺の人達の間にこんな噂が出るようになりました。
「どうもこの頃、昭沙弥は、生飯をやると言っちゃ日に五六|遍《ぺん》も、そわそわ川へ行く。あんまり鯉に馴染《なじみ》がつき過ぎて鯉に魅《み》せられたのではないか」
「その癖《くせ》、淵の鯉は、斎《とき》の鐘を聴いてもこの頃は集って来んようだ。わしは気を付けて行って見るが確かにそうだ」
「それは変だな」「変だ」「変だ」と噂し合うようになりました。それはそのはずです。せっかくの生飯も、昭青年は苫船の中の美しい姫にやってしまうので、淵の鯉は、いつも待ち呆《ぼう》けです。しまいには諦《あきら》めて鯉達は斎の鐘に集らなくなりました。噂が耳に入るほど余計に昭青年は用心します。隙《すき》を覗《うかが》い折を見ては苫船へ通います。その度に自分が貰《もら》った菓子《かし》、果物など、食べた振《ふ》りをして袖《そで》に忍ばせ、姫にそっと持って行ってやります。そうこうするうち日も移って、梅雨《つゆ》もすっかり明けた真夏の頃となりました。
片方は十八の青年、片方は十七の乙女《おとめ》。二人は外界をみな敵にして秘密の中で出会うのです。自然と恋《こい》が芽生えて来たのも当然です。
姫はもう何もかも考えなくなって、ひたすら昭青年の来るのを待ち侘《わ》びている。自分では、ただ頼みにする人、有難い人と思っている積りだが、心の底ではもう恋が成熟しきっている。その証拠《しょうこ》には、われ知らず、男の心を試すような我儘《わがまま》を言い出すようにもなりました。
一方、昭青年は早く機会を見付けて何とか始末をしなくては、悟道《ごどう》の妨《さまた》げに
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