傍点]の時分から、魚に餌《え》をやりつけているので、魚の主なものは見覚えてしまい、友だちか兄弟のように馴染《なじ》んでしまっていました。
五月のある日、しぶしぶ雨が降る昼でした。淵の魚はさぞ待っているだろうと、昭青年は網代笠《あじろがさ》を傘《かさ》の代りにして淵へ生飯を持って行きました。川はすっかり霧《きり》で隠《かく》れて、やや晴れた方の空に亀山《かめやま》、小倉山《おぐらやま》の松《まつ》の梢《こずえ》だけが墨絵《すみえ》になってにじみ[#「にじみ」に傍点]出ていました。昭青年がいま水際に降りる岩石の階段に片足を下ろしかけたとき、その石の蔭《かげ》になっている岸と水際との間の渚《なぎさ》に、薄紅《うすべに》の色の一かたまりが横たわっているのが眼に入りました。瞳《ひとみ》を凝《こ》らしてよく見ると、それが女の冠《かぶ》るかつぎ[#「かつぎ」に傍点]であることが判《わか》り、それを冠ったまま、娘《むすめ》が一人|倒《たお》れているのが判りました。昭青年は急いで川砂利《かわじゃり》の上へ飛び下り、娘の傍《そば》へ駈《か》け寄って、抱《だ》き起しながら
「どうしたのですか」
と訊《き》くと、娘は力無い声で、昨日から食事をしないので饑《う》えに疲《つか》れ、水でも一口飲もうと、やっと渚まで来たが、いつの間にか気が遠くなってしまったというのでした。
「それじゃ、幸い、ここに鯉《こい》にやる生飯があります。これでもおあがりなさい」
鉢を差し出してやると、娘は嬉《うれ》しそうに食べ、水を掬《すく》って来て飲ませると、娘はやっと元気を恢復《かいふく》した様子、そこで娘の身元ばなしが始まりました。
応仁《おうにん》の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を得たようなものの、戦禍《せんか》はかえって四方へ撒《ま》き散された形となって、今度は地方地方で小競合《こぜりあ》いが始まりました。そこで細川方の領将も、山名方の領将も国元の様子が心配なので取る物も取りあえず京都から引返すという有様。
ここに細川方の幕僚《ばくりょう》で丹波《たんば》を領している細川|下野守教春《しもつけのかみのりはる》も、その数に洩《も》れず、急いで国元へ引返して行きました。教春の一人娘|早百合姫《さゆりひめ》は三年前、京都の戦禍がやや鎮《しず》まっていたとき、京都|滞陣《たいじん
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