負は強いて言わずに、次の言葉を発しました。
「昭公が、いま、別の生涯あるを知ったのは、永い間、生飯を施《ほどこ》した鯉魚の功徳《くどく》の報いだ。昭公に過ちがあったのは、わしの不徳の致《いた》すところだ。まあ、この辺で事件は落着にしてもらいたい」
昭青年はこれを機として落髪《らくはつ》して僧となり、別に河辺《かわべ》に鯉魚庵《りぎょあん》を開いて聖胎長養《せいたいちょうよう》に入ったが、将来名器の噂が高い。
恋愛《れんあい》関係において一方が悟《さと》ってしまったら相手は誠に張合いの無いものとなります。悟るということは、生命の遍満性、流通性を体証したことで、一|匹《ぴき》の鯉魚にも天地の全理が含《ふく》まれるのを知ると同時に、恋愛のみが全人生でなく、そういう一部に分外に滞《とどま》るべきでないとも知ることです。
そのうちに諭《さと》さなくとも早百合姫は、道に志ある身となって、しかし、これは逆に塵中《じんちゅう》へ引返し、舞《ま》いの天才を発揮して京町の名だたる白拍子《しらびょうし》となりました。さす手ひく手の妙《たえ》、面白の振りの中に錆《さ》びた禅味がたゆとう[#「たゆとう」に傍点]とて珍重《ちんちょう》されたのは、鯉魚庵の有力な檀越《だんおつ》となって始終、道味聴聞《どうみちょうもん》の結果でありました。
この後、住持三要は、間違いがあってはならぬというので、淵の鯉魚へ生飯を遣《や》る役は老体ながら自分ですることにしました。そこで淵の鯉魚は、再び、斎の鐘を聴くと寺前の水面に集って待つようになりました。
[#地から1字上げ](昭和十年八月)
底本:「ちくま日本文学全集 岡本かの子」筑摩書房
1992(平成4)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
入力:ゆいみ
校正:岩田とも子
1999年9月7日公開
2005年11月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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