に構えた僧も二三人見えます。もし昭青年がちょっとでも言葉に詰《つ》まったら、いたく打ちのめし、引き括《くく》って女と一緒に寺門|監督《かんとく》の上司へ突出《つきだ》そうと、手ぐすね引いて睨《ね》めつけています。
大衆が入り代り立ち代り問い詰めても、昭青年はただ
「鯉魚」と答えるだけでした。
「仏子、仏域を穢《けが》すときいかに」
「鯉魚」
「そもさんか、出頭、没溺火坑深裏」
「鯉魚」
「這《しゃ》の田舎奴《でんしゃぬ》、人を瞞《まん》ずること少なからず」
「鯉魚」
「ほとんど腐肉《ふにく》蠅《よう》を来《きた》す」
「鯉魚」
これでは全く問答になっていません。大衆はのっけ[#「のっけ」に傍点]に打ってかかってもいいようなものの、昭青年の意気込みには、鯉魚と答える一筋の奥《おく》に、男が女一人を全面的に庇《かば》って立った死物狂《しにものぐる》いの力が籠《こも》っています。大概《たいがい》の野狐禅《やこぜん》では傍へ寄り付けません。大衆は威圧《いあつ》されて思わずたじたじとなります。
そのうち昭青年の心理にも不思議な変化が行われて来ました。はじめ昭青年は、問答に当って禅の古つわもの[#「つわもの」に傍点]との論戦に、あれこれ言ったのではかえって言いまくられるであろうから、勝負は時の運に任して、幸い師の三要から暗示《ヒント》を与えられた鯉魚の二字を守って、守り抜《ぬ》こうと決心したのですが、どの問いに対しても鯉魚鯉魚と答えていると、不思議にもその調法さから、いつの間にか鯉魚という万有の片割れにも天地の全理が籠っているのに気が付いて、脱然《だつぜん》、昭青年の答え振りは活《い》きて来ました。青年は、あるいは「釜中《ふちゅう》の鯉魚」と答え、あるいは「網《あみ》を透《とお》る金鱗《きんりん》」と答えはするが、ついに鯉魚あるを知らず、おのれに身あるを知らず、眼前に大衆あるを知らずして、問いに対する答えの速《すみや》かなること、応変自由なること、鐘の撞木《しゅもく》に鳴るごとく、木霊《こだま》の音を返すがごとく、活溌《かっぱつ》、轆地《ろくち》の境涯《きょうがい》を捉《とら》えました。こうなると大衆はだんだん黙《だま》ってしまって、ただただ驚嘆《きょうたん》の眼を瞠《みは》るのです。にっこり[#「にっこり」に傍点]と笑った三要は払子《ほっす》を打って法戦終結を告げ、勝
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