千歳が思わず取縋《とりすが》った慶四郎の手から、却《かえ》ってぴりぴりするような厳しい震えを千歳は感じた。
「姉さんは、僕にたった一つの夢しか与えなかった。あなたは僕に取って無限の夢の供給者だ」
「でも……」
「姉さんには気の毒だ。でも、芸の道は心弱くては行かれない道だ……それに千歳さんだって僕を嫌いではない筈だ」
千歳は始めて剛腹な慶四郎が、涙を零《こぼ》すのを見た。
千歳は頭を垂れたまま其処に立ちつくしている――それは肯定の姿とも暗黙の姿ともうけとれる――
湖は暮れて来た。湖面の夕紫は、堂ヶ島を根元から染めあげ、真向いの箒ヶ崎は洞のように黝《くろず》んだ。大きな女中と、小さい女中が、
「暫らく停電いたすそうですから……」
といいながら、大|蝋燭《ろうそく》の燭台と、ゆうげの膳を運んで来た。
底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「丸の内草話」青年書房
1939(昭和14)年5月20日発行
初出:「令女界」
1938(昭和13)年8月号
入力:門田裕志
校正:noriko saito
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