な初花の滝さ」
少しわき道をして慶四郎は、千歳に滝を見せたりした。
またごろ[#「ごろ」に傍点]太石の街道が続く。陽はまぶしいほど山地に反射して、道端に咲くいちはつ[#「いちはつ」に傍点]の花が鋭い白星のように見える。千歳にうつらうつら襲って来る甘い倦怠《けんたい》――
千歳はいつか慶四郎の肩に頭を凭《もた》せて歩いている。
十年前、千歳が七八つの頃、慶四郎が父の内弟子に来てから、最初のうちは慶四郎は千歳の子守役、千歳が成長するにつれ縁日ゆきの護衛、口喧嘩の好敵手、時には兄妹のような気持にさえ、極めて無邪気な間柄であった。
だが父が、姉の仲子の養子に慶四郎を定めようとした時、すでに少女から娘に移っていた千歳は、何故か新らしく湧いた妙な味気なさを自分で不思議に思った。その縁談は、慶四郎の煮え切らない態度で有耶無耶《うやむや》になりそのまま今度の事件になってしまった。それゆえ、その時の味気なさを千歳は自分に追求するまでもなかったが、今度の破門についても、父が、慶四郎を今一年もしたらまた、迎い入れようという下心を娘達に話さなかったら、千歳にはかなり寂しい出来事だったに違いなかった。
今、山道で久しぶりに慶四郎の傍にいて、何か易々とした安心にゆるんで来て千歳は子供のときのように、うっかり慶四郎にもたれかかったりするのであった。
慶四郎は、その千歳をいとしそうに労《いたわ》りながら、
「疲れたのかい。もう少しの辛棒」
青葉の包みをほぐした中に在るように、須雲村が目の前に現れて来た。燻《くす》んで落付いた藁屋《わらや》が両側に並んでいる。村の真中の道に沿うて須雲川から下りた一筋の流れが走っている。覗くと水隈だけ見えて、水は眼にとまらぬ程きれいに底の玉石へ透き徹っていた。谷畑から採って来た鮮かな山葵《わさび》の束が縁につけてあるのがくんくん匂う。
「いいとこね。まるで古い油絵を剥《はが》してもって来たようね」
「気に入ったかい、まあ、ここにかけ給え」
慶四郎は温泉宿の祝儀手拭を取出して敷いた。千歳はそれに自分のハンケチを重ね、その上へ坐った。
慶四郎は無造作に傍の石に腰かけてしばらく莨《たばこ》を喫っていたが、やがて、しっとりとした声で言った。
「僕はこの前、ひとりでここへ来たとき、一つの夢を思い付いたのだ」
夢という言葉は慶四郎の口癖で楽人仲間では有名で
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