《おそ》い反応を示した。復一の家へ小さいバケツを提げて一人で金魚を買いに来た帰りに、犬の子にでも逐《お》いかけられるような場合には、あわてる割にはか[#「はか」に傍点]のゆかない体の動作をして、だが、逃《に》げ出すとなると必要以上の安全な距離《きょり》までも逃げて行って、そこで落付いてから、また今更のように恐怖《きょうふ》の感情を眼の色に迸《ほとばし》らした。その無技巧《むぎこう》の丸い眼と、特殊《とくしゅ》の動作とから、復一の養い親の宗十郎は、大事なお得意の令嬢だから大きな声ではいえないがと断って、
「まるで、金魚の蘭鋳《らんちゅう》だ」
と笑った。
漠然《ばくぜん》とした階級意識から崖邸の人間に反感を持っている崖下の金魚屋の一家は、復一が小学校の行きかえりなどに近所同志の子供仲間として真佐子を目の仇《かたき》に苛《いじ》めるのを、あまり嗜《たしな》めもしなかった。たまたま崖邸から女中が来て、苦情を申立てて行くと、その場はあやまって受容《うけい》れる様子を見せ、女中が帰ると親達は他所事《よそごと》のように、復一に小言はおろか復一の方を振り返っても見なかった。
それをよいことにして復一の変態的な苛め方はだんだん烈《はげ》しくなった。子供にしてはませた、女の貞操《ていそう》を非難するようないいがかりをつけて真佐子に絡《から》まった。
「おまえは、今日体操の時間に、男の先生に脇《わき》の下から手を入れてもらってお腰巻のずったのを上へ上げてもらったろう。男の先生にさ――けがらわしい奴《やつ》だ」
「おまえは、今日鼻血を出した男の子に駆《か》けてって紙を二枚もやったろう。あやしいぞ」
そして、しまいに必ず、「おまえは、もう、だめだ。お嫁《よめ》に行けない女だ」
そう云《い》われる度に真佐子は、取り返しのつかない絶望に陥《おちい》った、蒼ざめた顔をして、復一をじっと見た。深く蒼味がかった真佐子の尻下《しりさが》りの大きい眼に当惑《とうわく》以外の敵意も反抗《はんこう》も、少しも見えなかった。涙《なみだ》の出るまで真佐子は刺《さ》し込《こ》まれる言葉の棘尖《とげさき》の苦痛を魂《たましい》に浸《し》み込《こ》ましているという瞳《ひとみ》の据《す》え方だった。やがて真佐子の顔の痙攣《けいれん》が激《はげ》しくなって月の出のように真珠色《しんじゅいろ》の涙が下瞼《したまぶた》から湧いた。真佐子は袂《たもと》を顔へ当てて、くるりとうしろを向く。歳《とし》にしては大柄《おおがら》な背中が声もなく波打った。復一は身体中に熱く籠《こも》っている少年期の性の不如意《ふにょい》が一度に吸い散らされた感じがした。代って舌鼓《したつづみ》うちたいほどの甘《あま》い哀愁《あいしゅう》が復一の胸を充《みた》した。復一はそれ以上の意志もないのに大人《おとな》の真似《まね》をして、
「ちっと女らしくなれ。お転婆《てんば》!」
と怒鳴《どな》った。
それでも、真佐子はよほど金魚が好きと見えて、復一にいじめられることはじきにけろりと忘れたように金魚買いには続けて来た。両親のいる家へ真佐子が来たときは復一は真佐子をいじめなかった。代りに素気《そっけ》なく横を向いて口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いている。
ある夕方。春であった。真佐子の方から手ぶらで珍《めず》らしく復一の家の外を散歩しに来ていた。復一は素早く見付けて、いつもの通り真佐子を苛めつけた。そして甘い哀愁に充《み》たされながらいつもの通り、「ちっと女らしくなれ」を真佐子の背中に向って吐《は》きかけた。すると、真佐子は思いがけなく、くるりと向き直って、再び復一と睨《にら》み合った。少女の泣顔の中から狡《ず》るそうな笑顔《えがお》が無花果《いちじく》の尖《さき》のように肉色に笑み破れた。
「女らしくなれってどうすればいいのよ」
復一が、おやと思うとたんに少女の袂の中から出た拳《こぶし》がぱっと開いて、復一はたちまち桜の花びらの狼藉《ろうぜき》を満面に冠《かぶ》った。少し飛び退《すさ》って、「こうすればいいの!」少女はきくきく笑いながら逃げ去った。
復一は急いで眼口を閉じたつもりだったが、牡丹《ぼたん》桜の花びらのうすら冷い幾片《いくへん》かは口の中へ入ってしまった。けっけと唾《つば》を絞《しぼ》って吐き出したが、最後の一ひらだけは上顎《うわあご》の奥《おく》に貼《は》りついて顎裏のぴよぴよする柔《やわらか》いところと一重になってしまって、舌尖で扱《しご》いても指先きを突《つ》き込んでも除かれなかった。復一はあわてるほど、咽喉《のど》に貼りついて死ぬのではないかと思って、わあわあ泣き出しながら家の井戸端《いどばた》まで駆けて帰った。そこでうがいをして、花片はやっと吐き出したが、しかし、どことも知れない手の
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