こまつ》。なんぼ花ある、梅《うめ》、桃《もも》、桜。一木ざかりの八重一重……。
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 復一にはうまいのかまずいのか判らなかったが、連翹《れんぎょう》の花を距《へだ》てた母屋から聴えるのびやかな皺嗄声《しわがれごえ》を聴くと、執着の流れを覚束なく棹《さお》さす一個の人間がしみじみ憐れに思えた。
 養父はふだん相変らず、駄金魚を牧草のように作っていたが、出来たものは鼎造の商会が買上げてくれるので販売は骨折らずに済んだ。だが
「とても廉《やす》く仕切るので、素人《しろうと》の商売人には敵《かな》わないよ。復一、お前は鼎造に気に入っているのだから、代りにたんまりふんだくれ」
 と宗十郎はこぼしていった。そして多額の研究費を復一の代理になって鼎造から取って来て痛快がっていた。
 復一は親達が何を云っても黙って聞き流しながらせっせとプールの水を更えた。別々に置いてある雄魚と雌魚とをそっといっしょにしてやった。それから湖のもくもくから遥々《はるばる》採って来た柳のひげ根の消毒したものを大事そうに縄《なわ》に挟《はさ》んで沈めた。

 空は濃青に澄《す》み澱んで、小鳥は陽の光を水飴のように翼《つばさ》や背中に粘《ねば》らしている朝があった。縁側から空気の中に手を差出してみたり、頬を突き出してみたりした復一は、やがて
「風もない。よし――」といった。
 日覆いの葭簾を三分ほどめくって、覗く隙間《すきま》を慥《こしら》えて待っていると、列を作った三匹の雄魚は順々に海戦の衝角《しょうかく》突撃《とつげき》のようにして、一匹の雌魚を、柳のひげ根の束《たば》の中へ追い込もうとしている。雌は避けられるだけは避けて、免《まぬが》れようとする。なぜであろうか。処女の恥辱のためであろうか。生物は本来、性の独立をいとおしむためか。それともかえって雄を誘うコケットリーか。ついに免れ切れなくなって、雌魚は柳のひげ根に美しい小粒《こつぶ》の真珠のような産卵を撒き散らして逃げて行く。雄魚等は勝利の腹を閃めかして一つ一つの産卵に電撃を与える。
 気がついてみると、復一は両肘を蹲《しゃが》んだ膝頭《ひざがしら》につけて、確《かた》く握《にぎ》り合せた両手の指の節を更に口にあててきつく噛みつつ、衷心《ちゅうしん》から祈っているのであった。いかにささやかなものでも生がこの世に取り出されるというこ
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