た》から湧いた。真佐子は袂《たもと》を顔へ当てて、くるりとうしろを向く。歳《とし》にしては大柄《おおがら》な背中が声もなく波打った。復一は身体中に熱く籠《こも》っている少年期の性の不如意《ふにょい》が一度に吸い散らされた感じがした。代って舌鼓《したつづみ》うちたいほどの甘《あま》い哀愁《あいしゅう》が復一の胸を充《みた》した。復一はそれ以上の意志もないのに大人《おとな》の真似《まね》をして、
「ちっと女らしくなれ。お転婆《てんば》!」
 と怒鳴《どな》った。
 それでも、真佐子はよほど金魚が好きと見えて、復一にいじめられることはじきにけろりと忘れたように金魚買いには続けて来た。両親のいる家へ真佐子が来たときは復一は真佐子をいじめなかった。代りに素気《そっけ》なく横を向いて口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いている。
 ある夕方。春であった。真佐子の方から手ぶらで珍《めず》らしく復一の家の外を散歩しに来ていた。復一は素早く見付けて、いつもの通り真佐子を苛めつけた。そして甘い哀愁に充《み》たされながらいつもの通り、「ちっと女らしくなれ」を真佐子の背中に向って吐《は》きかけた。すると、真佐子は思いがけなく、くるりと向き直って、再び復一と睨《にら》み合った。少女の泣顔の中から狡《ず》るそうな笑顔《えがお》が無花果《いちじく》の尖《さき》のように肉色に笑み破れた。
「女らしくなれってどうすればいいのよ」
 復一が、おやと思うとたんに少女の袂の中から出た拳《こぶし》がぱっと開いて、復一はたちまち桜の花びらの狼藉《ろうぜき》を満面に冠《かぶ》った。少し飛び退《すさ》って、「こうすればいいの!」少女はきくきく笑いながら逃げ去った。
 復一は急いで眼口を閉じたつもりだったが、牡丹《ぼたん》桜の花びらのうすら冷い幾片《いくへん》かは口の中へ入ってしまった。けっけと唾《つば》を絞《しぼ》って吐き出したが、最後の一ひらだけは上顎《うわあご》の奥《おく》に貼《は》りついて顎裏のぴよぴよする柔《やわらか》いところと一重になってしまって、舌尖で扱《しご》いても指先きを突《つ》き込んでも除かれなかった。復一はあわてるほど、咽喉《のど》に貼りついて死ぬのではないかと思って、わあわあ泣き出しながら家の井戸端《いどばた》まで駆けて帰った。そこでうがいをして、花片はやっと吐き出したが、しかし、どことも知れない手の
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