無意味な生涯、そういうものこそ却って望ましくなって来たのです。私たちが生の自覚を持ち、意識や、意味に振り廻されて疲労ばかり覚える一生というものは、人間に取ってあまりたいしたもの[#「たいしたもの」に傍点]ではありません。それよりも生の前、死の後の、あの混沌とした深い眠り、肉体も精神も完全に交渉を断ったあの深い眠り、この方がどのくらい価値があることかわかりません。第一、時間から言っても、片一方は五六十年の間ですし片一方は無限の間です。どっちが人間としても本当の生涯か考えさせられます。
仏教で言うニルヴァーナというのはそういうことではないでしょうか。
私は生きながら無刺激、無感覚の生活をしたいと、よりより探ってみました。そういうところは、もう、あまり世界に多くありません。印度人のやっている僧庵生活に就いて人から聴きました。膝を組んで全く死の状態になって暮しているそうです。私に取って此のくらい耳寄りな話はありません。それで其処へ行く支度にかかりました。
ところが驚きました。私のような考えを持った同じ独逸人がまだ沢山在ると見え、その目的で独逸人が印度に入り込む者が段々多くなったそうです。
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