多かろう。独逸人をして独逸人を治めしめよ。私は心に微笑を覚えて言った。
「やっぱりあなたと同じ独逸人の宗教小説家でヘルマン・ヘッセという人があります。この人の著書の『シッダールタ』を読んでご覧なすったら如何です。多少参考になるかも知れませんから」
 青年は素直に注文聴取簿に私の言ったこと、著者と書名を書き記していた。私は汽車に乗り遅れてはと、急いで停車場へ駆けつけた。

 私は責任をヘッセの著書に譲り渡し、それで気が済んだつもりでいたが、そうは行かなかった。あれだけ虚無の魅力に牽付《ひきつ》けられた疲れた人間が、なかなか文学や説明や詩で蘇らせられようとは思えなかった。そこで三度目のフロウナウ町行きとなった。せめて青年のその後の様子だけでも見たいと思ったからである。停車場のレストーランへ行くと、青年は女の連れと一緒に仏陀寺へ行ったということだったので、私も不必要な仏陀寺へ三度目の参詣をした。
 急に春めいて来て、町の街路樹はすっかり萌黄《もえぎ》の芽を吹き、家々の窓や墻根《かきね》から色々の花さえちらほら見えた。寒さからのがれた空はたるんで、暖かい光の中に痴呆性の眼の色のようにぼんやりし
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