な気がして故国との距離感を暫く忘れたほど東洋的な閑寂な気分に引入れられた。その間、二三度伯林から汽車が着いて此の町の住宅へどやどやと帰って行く勤人の群集《マッス》が眼の前の広場を遮《さえぎ》り通るのもあまり気にならなかった。私はまた、日本の田舎の町辻にある涎掛《よだれか》けをかけた石の地蔵とか、柳の落葉をかぶっている馬頭観音とかいうものの姿が、直ぐ其処《そこ》らにでも見当るような親しさで、胸に思い出して居た。
 硝子窓の外で、ぎらりと光った数珠《じゅず》の玉が眼に映ったのと同時に、この出張りの天井の電燈もついた。光った数珠の玉は連翹《れんぎょう》の撓《しな》った小枝に溜った氷雨か雫であった。そこに一台の自転車が錆びたハンドルだけ見せていた。
 デザートを運んで来た給仕を何気なく見て私は驚いた。それは、さっき仏陀寺で遭った青年だった。今は給仕の服にエプロンをかけていた。青年はすこしの間でも客の女性を不審の中に置くまいとする気遣いらしく、少しあわて気味の早口で言った。
「先刻は失礼しました。私は此処の給仕人を勤めているものです。もっとも臨時雇ですが、――あなたにもっと仏教のことを伺い度《た》いと思いまして、あのおじいさんの給仕人に番を代って貰いました。だいぶ遠慮して差控えていたのですが、どうしても好き機会と思いましたので」
 それから彼はマネージャの方を気にしながら、私の食事をサーヴィスしている形に見せつつ、彼の訊き度いと思う仔細を語った。
 青年は名をベックリンと言って伯林商業大学の生徒だった。自活をしているので、仕事のあるときは多くその方を懸命に働き、学校は、言わば失業のときの暇つぶしですと言った。
「御承知でもありましょうが、いま独逸で私たちのような境遇の者の食って行く途《みち》は実に骨が折れるのです。こっちは何でもやるつもりですが仕事がありません。私たちの日課と言ったら朝起きて新聞の職業紹介欄を見て、目星しいものにサインを付け、それを一々自転車に乗って尋ね廻ることです。誰が先にその求人の事務所に乗りつけるか、まるで自転車競走です。そして一々すげなく断られて帰って来ます。そして朝飯のパンを噛《かじ》ります。もう習慣になっていますから、求職の一廻りをして、それからでないと朝飯が落着かないくらいです。然《しか》し自転車というものを見ると実に何とも言えない此の世に嫌気が
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