のか。いっそ毎日やったら――
 道子は髪を束《たば》ねながら急ぎ足で家に帰って来た。彼女はこの計画を家の者に話さなかった。両親はきっと差止めるように思われたし、兄弟は親し過ぎて揶揄《からか》うぐらいのものであろうから。いやそれよりも彼女は月明の中に疾駆《しっく》する興奮した気持ちを自分独りで内密に味わいたかったから。
 翌日道子はアンダーシャツにパンツを穿《は》き、その上に着物を着て隠し、汚れ足袋《たび》も新聞紙にくるんで家を出ようとした。
「どこへ行くんです、この忙がしいのに。それに夕飯時じゃありませんか」
 母親の声は鋭かった。道子は腰を折られて引返した。夕食を兄弟と一緒に済ました後でも、道子は昨晩の駈足の快感が忘れられなかった。外出する口実はないかと頻《しき》りに考えていた。
「ちょっと銭湯に行って来ます」
 道子の思いつきは至極当然のことのように家の者に聞き流された。道子は急いで石鹸と手拭と湯銭を持って表へ出た。彼女は着物の裾を蹴って一散に堤防へ駈けて行った。冷たい風が耳に痛かった。堤防の上で、さっと着物を脱ぐと手拭でうしろ鉢巻をした。凜々《りり》しい女流選手の姿だった。足袋を
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