く》な好みを持つてゐるんです」
「弟さんは」
「あれは父と同じに女嫌ひらしいです」
さうかと思ふとまたの日は急に朗らかで、いそ/\して来て、どこから探し出して来たか、古風な猥《みだ》らな絵巻物をかの女にそつと拡げかけるやうなこともあつた。かの女は極力平静を装つて、彼の顔を正視した。
「それどこが面白いのでございます」
すると、彼は照れて、
「僕にはものを考へないといふモツトー以外には生きる方法はないんです。単に刹那《せつな》々々の刺戟《しげき》のほかには……」
と負け惜しみのやうなことを云ひながら、手持ち不沙汰《ぶさた》にそれを巻き納めて部屋を出て行くのだつた。
父のYは旧幕の権臣の家の後嗣《こうし》者であつた。旧藩閥の明治の功傑たちは、新政府に従順だつた幕府方の旧権臣の家門を犒《ねぎら》ふ意味から、その後嗣者を官吏として取り立てた。Yは相当なところまで出世した。しかし、Yの持つて生れた度外れの気位と我執《がしゅう》の性質から、たうとう長上《ちょうじょう》と衝突して途中で辞めて仕舞《しま》つた。遺産のあるまゝに生来の蒐集癖《しゅうしゅうへき》に耽《ふけ》つて、まだ壮年をちよつと過ぎたくらゐの年頃を我儘三昧《わがままざんまい》に暮さうと決めてしまつた。恐るべきエゴイストの墓標のやうな人間であつた。
Yの権高《けんだか》な気風と、徹底した利己主義に、雪子はやゝ超人的な崇高な感じは受けたが、下町娘の持つ仁侠《にんきょう》的な志気はYにひどい反抗と憎みを持つた。あはよくば、Yが寵愛《ちょうあい》してゐる弟息子を奪つて、父の傲慢《ごうまん》の鼻を明かしてやらうとさへヒステリカルに感じた。
兄の息子は、膨れ目蓋《まぶた》のしじゆう涙ぐんでゐるやうに見える、皮膚の水つぽい青年だつた。女のことで一度|落度《おちど》があつたといふ噂《うわさ》だが、しかしそのことが原因ばかりでもない蔭の人の性分を十分持つてゐて、父や弟から、身内と召使ひとの中間の人間に扱はれ、雇人《やといにん》に混つて、自然にこの別寮の家扶《かふ》のやうな役廻りになつてゐた。しかし、見かけほど悲劇的な性格もなく、どこかのん気で愚《おろか》なところがあつて、情操的にものを突き詰めては考へられなく、萍《うきくさ》の浮いたところがあつた。
母のゐないこの別寮で、兄の鞆之助は主婦のやうな役目にもなつた。雪子
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