「ひとり身の女がこんな口を利くやうになるのはよく/\のことよ」
 いくらか桂子は悵然とした口調でかういつた。
 だが空が和んで来て生毛のやうに柔く短く截れて降る春雨を傘に凌いで、内玄関から出て行くときには、桂子は均斉のとれた大柄な身体を、何の蟠りもなくすつくりと伸して、昼間は人目につくと云つて小布施を訪ねるのをとめだてするせん子を見返つて、
「昼間堂々と行く方が、世間の噂に逆襲をして却つていゝんだよ」といつた。
 せん子は今更ながら美しい若い伯母の優しい気立てのなかに、どんな苦労も力強く凌いで行く精神力の潜むのを感じ、それをそのまゝ現はしてゐるやうな桂子の後姿を、信頼の眼差で見送つた。それから自分にもその元気が移りでもしたやうな張つた声で、勝手元の方を向いて云つた。
「ばあや、前庭の桃葉珊瑚《あをき》に実が一ぱいついてるよ。青い葉の間に混つて青い実がついてるものだから、まるで気がつかなかつたわ。」
 活溌な足音がして内弟子の桑子と書生が、婆やより先にせん子の佇つてゐる洋館の内玄関の扉口の方へ駈けて来た。


 桂子は邸宅と商家と肩を闘はして入れ混つてゐる山手の一劃から、窪地へ低まつ
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