の前に桂子の花に対する愛と理解を原則的に纒めて見ると、大体かうである。
花の色はどれもみな花の生命から直接滲む精色である。人工で練つた絵の具より、より純粋な色飾、花をもつて桂子は自分の絵を描き度い。==人工の絵の具には反対色があり、往々不調和に反撥する。花に於ては花自体の物体色が取りも直さず太陽の光線が映す色光である。花の色一々が原色に於て濃淡のヴアリユーを出してゐる。二つのものに分けられない。分けたときはもう花ではない。そして混ぜ合された間色と見えるものもいつも最大色度の純度である。最純度なるものは、如何に混然雑然と組まれても、反撥、牴触、不調和等が無い。故に花は一つでも寂しくなく、沢山寄つても煩さくない。==花の姿と形、それは万有そのものゝ理想である。この世界では性器さへ荘厳され得る。桂子はバルザツクの「知られざる傑作」の主人公である画家が、絵画の絶対の完成を求めてその画布を人間の眼には何物とも判じ得られぬ狂的な形象に塗殺し尽して仕舞つた記述を読んで、悲涙を流した。その涙が止んだとき桂子は、切実にこの主人公に花といふものを知らせ度い欲望に駆られた。==夜中にふと眼を醒まして闇の中にまさぐつて見る花の姿、何といふデリカで秘密な感触の歓びであらう。==花には見るものゝホルモン線を芸術的に刺戟する作用がある。(だから私は若いのだらうかと桂子は思ふ)==茲でこの小説の作者は東洋の古い経典に花を説明して、「それは人生のあらゆる苦難を忍んで理想の種子を養ひ育て、やがてそこに開敷する完成の人格を宇宙が植物に於て象徴されたものだ」また一花を愛することは未就身が無意識に於て成就身を嘆慕することである」と書いてあつたのを、桂子が花に対する註解に付記する。そして、更に、また桂子自身の「たとへ小米の花の一輪にだに全樹草の性格なり荷担の生命を表現してゐる。地中のあらゆる汚穢を悉く自己に資する摂取として地上陽下に燦たる香彩を開く、その逞しき生命力。花は勁し」といふ主観をも書き足して置く。
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 さて、いよ/\桂子の花で描いた絵の公開展である。それはQ――芸館の階上階下、全部の室々を当てゝ開展されたのである。
 その主なるものを茲に紹介すれば、
 階下==玄関衝立代りとして、漆塗り大船型の器に截り据ゑた松の大幹、その枝々に揺れる藤浪。マホガニイ、白真鍮、鼠色大理石の
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