け眼のように涼しく開けて、葉はまだ閉じて眠っているポインシャナの叢《くさむら》を靴の底でいじらしそうに※[#「てへん+(「縻」の「糸」に代えて「手」)」、743−上−20]《さす》りながら、こう云った。
 娘は、今朝も事務員に混っていろいろ手伝っていたが、何となくそわそわしていた。そして、話にばつを合せるように、私には嫌味に思える程、きらきらした作り笑いの声を挙げた。しかし、若い経営主が、こういうにつれ、他の若い男たちも悵然《ちょうぜん》とした様子をみて、娘は心から同情する気持ちを顔に現した。
「僕の慰めは酒と子供だな」と社長は云った。
 彼は今朝もビールを飲んでいた。
「君にもまだ慰めなくちゃならない煩悩があるのかね」と若い経営主は云った。「そんなにチッテ族の酋長《しゅうちょう》のような南洋色になっても」
 社長は、「ある――大いにある」と怒鳴ったが、誰も酔いの上の気焔《きえん》と思って相手にしない。社長は口を噤《つぐ》んで仕舞った。


 逆巻く濤《なみ》のように、梢《こずえ》や枝葉を空に振り乱して荒れ狂っている原始林の中を整頓《せいとん》して、護謨《ゴム》の植林がある。青臭い厚ぼったいゴムの匂いがする。白紫色に華やぎ始めた朝の光線が当って、閃《ひらめ》く樹皮は螺線状《らせんじょう》の溝に傷けられ、溝の終りの口は小壺《こつぼ》を銜《くわ》えて樹液を落している。揃って育児院の子供等が、朝の含嗽《うがい》をさせられているようでもある。馬来人《マレイじん》や支那人が働いている。
「僕等は正規の計劃《けいかく》の外、郷愁が起る毎に、この土に護謨の苗木を、特に一列一列植えるのです。妄念を深く土中に埋めるのです」
 その苗木の列には、或は銀座通とか、日比谷とか、或は植主の生地でもあろうか、福岡県――郡――村とか書いた建札がしてあった。
 若い経営主は、努めて何気なくいうのだが、娘は堪《た》まらなそうに、涙をぽたぽたと零《こぼ》して、急いでハンケチを出した。
 中老の社長は、こういう普通の感傷を珍らしいように眺め、私に云った。
「どうです。あなた方も、紀念に一本ずつ植えて行っては」
 護謨園の中を通っている水渠《すいきょ》から丸木船を出して、一つの川へ出た。ジョホール河の支流の一つだという。大きな歯朶《しだ》とか蔓草《つるくさ》で暗い洞陰を作っている河岸から、少し岐《わか》れ
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