ょうが、そのランデヴウを世話する人は、いよいよ並大抵じゃないわね」
私は揶揄《からか》いながら、横を向き、ハンカチを額へ持って行って、滲《にじ》み出す汗を抑えた。
娘は真身《しんみ》に嬉しさを感ずるらしく、ちょっと籐椅子を私の方へいざり寄せ、肘《ひじ》で軽く私の脇《わき》の下を衝《つ》いた。
私は娘の身の上を引受けてから、若い店員と話をつける手段を進めた。丁度ボルネオの沿岸を航行していた船の若い店員に手紙と電報で事情の経緯を簡単に述べ、あらためて、私が仲に立つ旨を云い遣《や》ると、店員からは案外喜んだ承諾の返事が来て、但《ただし》、いま船は暹羅《シャム》の塩魚を蘭領印度《らんりょうインド》に運ぶために船をチャーターされているから、船も帰せないし、自分も脱けられない。新嘉坡《シンガポール》なら都合出来る。見物がてら、ぜひそこへ来て貰い度《た》いと、寧《むし》ろ向うから懇請するような文意でもあった。
私は娘にはああは約束したが、たかだか台湾の基隆《キールン》か、せめて香港《ホンコン》程度までであろうと予想していた。そこなら南洋行きの基点ではあり、双方好都合である。新嘉坡となると、ちょっと外遊するぐらいの心支度をしなければならない。
――少し当惑しているとき思いの外力になったのは叔母である。娘のとき藩侯夫人の女秘書のようなことをして、藩侯夫妻が欧洲の公使に赴任するとき伴われ、それから帰りには世界の国々をも廻《まわ》って来た女だけに、自分の畑へ水を引くように、私を励ました。
「あんたも一遍そのくらいのところへ行っていらっしゃい。すると世間も広くなって、もっと私と話が合うようになりますから」
それから、女二人の旅券だの船だの信用状だのを、自分一人で掻《か》き込むようにして埒《らち》を開け、神戸まで見送って呉《く》れた。
シンガポール邦字雑誌社の社長で、南洋貿易の調査所を主宰している中老人が、白の詰襟服《つめえりふく》にヘルメットを冠《かぶ》って迎えに来て呉れた。朝、船へは紋付の和服で出迎えて呉れたのであるが、そのときに較《くら》べて、いくらか精気を帯びて見えた。
「名物のライスカレーはいかがでしたか。とても辛くて内地の方には食べられないでしょう」
私は昼の食堂で、カレー汁の外に、白飯に交ぜる添菜《てんさい》が十二三種もオードゥブル式に区分け皿に盛られている
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