窪《なかくぼ》みに見えた。顎《あご》が張り過ぎるように目立った。いつもの美しい眼と唇は、定まらぬ考えを反映するように、ぼやけて見えた。
娘は唇の右の上へ幼稚で意地の悪い皺《しわ》をちょっと刻んだかと見えたが、ぼやけていたような眼からは、たちまちきらりとなつかしそうな瞳《ひとみ》が覗き出た。
「…………」
「…………」
感情が衝《つ》き上げて来て、その遣《や》り場をしきりに私の胸に目がけながら、腰の辺で空に藻掻《もが》かしている娘の両方の手首を私は握った。私は娘にこんな親しい動作をしかけたのは始めてである。
「何でも云って下さい。関《かま》いません」
私のこの言葉と、もはや、泣きかかって、おろおろ声でいう娘の次の言葉とが縺《もつ》れた。
「あなたを頼りに思い出して、あたくしは……却《かえ》って気の弱い……女に戻りました」
そして、どうかこれを見て呉《く》れと云って、始めて私をカーテンの内部へ連れ込んだ。
東の河面に向くバルコニーの硝子扉《ガラスとびら》から、陽が差込んで、まだつけたままのシャンデリヤの灯影《ほかげ》をサフラン色に透き返させ、その光線が染色液体のように部屋中一ぱい漲《みなぎ》り溢《あふ》れている。床と云わず、四方の壁と云わず、あらゆる反物の布地の上に、染めと織りと繍《ぬ》いと箔《はく》と絵羽《えば》との模様が、揺れ漂い、濤《なみ》のように飛沫《ひまつ》を散らして逆巻き亘《わた》っている。徒《いたず》らな豪奢《ごうしゃ》のうすら冷い触覚と、着物に対する甘美な魅惑とが引き浪のあとに残る潮の響鳴のように、私の女ごころを衝《う》つ。
開かれた仕切りの扉から覗かれる表部屋の沢山の箪笥《たんす》や長持の新らしい木膚を斜に見るまでもなく、これ等のすべてが婚礼支度であることは判《わか》る。私はそれ等の布地を、転び倒れているものを労《いたわ》り起すように
「まあ、まあ」と云って、取上げてみた。
生地は紋綸子《もんりんず》の黒地を、ほとんど黒地を覗かせないまで括《くく》り染の雪の輪模様に、竹のむら垣を置縫いにして、友禅と置縫いで大胆な紅梅立木を全面に花咲かしている。私はすぐ傍にどしりと投げ皺《しわ》められて七宝配《しっぽうくば》りの箔が盛り上っている帯を掬《すく》い上げながら、なお、お納戸色《なんどいろ》の千羽鶴《せんばづる》の着物や、源氏あし手の着物にも気を
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