それは仕方がないとしても、歳月は酷《むご》いものである。
「はじめは高島田にも挿せるような大平打の銀簪にやなぎ[#「やなぎ」に傍点]桜と彫ったものが、丸髷用の玉かんざしのまわりに夏菊、ほととぎす[#「ほととぎす」に傍点]を彫るようになり、細づくりの耳掻きかんざしに糸萩、女郎花《おみなえし》を毛彫りで彫るようになっては、もうたいして彫るせき[#「せき」に傍点]もなく、一番しまいに彫って差上げたのは二三年まえの古風な一本足のかんざしの頸に友呼ぶ千鳥一羽のものだった。もう全く彫るせき[#「せき」に傍点]は無い」
こう言って徳永は全くくたりとなった。そして「実を申すと、勘定をお払いする目当てはわしにもうありませんのです。身体も弱りました。仕事の張気も失せました。永いこともないおかみさんは簪はもう要らんでしょうし。ただただ永年夜食として食べ慣れたどぜう[#「どぜう」に傍点]汁と飯一椀、わしはこれを摂らんと冬のひと夜を凌《しの》ぎ兼ねます。朝までに身体が凍《こご》え痺《しび》れる。わしら彫金師は、一たがね一期《いちご》です。明日のことは考えんです。あなたが、おかみさんの娘ですなら、今夜も、あの細
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