になって誰も興味をひくものはない。ただそれ等の食品に就《つい》てこの店は独特な料理方をするのと、値段が廉《やす》いのとで客はいつも絶えなかった。
 今から四五年まえである。「いのち」という文字には何か不安に対する魅力や虚無から出立する冒険や、黎明《れいめい》に対しての執拗《しつよう》な追求性――こういったものと結び付けて考える浪曼的な時代があった。そこでこの店頭の洗い晒《さら》された暖簾の文字も何十年来の煤《すす》を払って、界隈《かいわい》の現代青年に何か即興的にもしろ、一つのショックを与えるようになった。彼等は店の前へ来ると、暖簾の文字を眺めて青年風の沈鬱さで言う。
「疲れた。一ついのち[#「いのち」に傍点]でも喰うかな」
 すると連れはやや捌《さば》けた風で
「逆に喰われるなよ」
 互に肩を叩いたりして中へ犇《ひし》めき入った。
 客席は広い一つの座敷である。冷たい籐《とう》の畳の上へ細長い板を桝形《ますがた》に敷渡し、これが食台になっている。
 客は上へあがって坐ったり、土間の椅子に腰かけたりしたまま、食台で酒食している。客の向っている食品は鍋るい[#「るい」に傍点]や椀が多い。
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