老人の槌の手は、しかしながら、鏨の手にまで届こうとする一|刹那《せつな》に、定まった距離でぴたりと止まる。そこに何か歯止機が在るようでもある。芸の躾《しつ》けというものでもあろうか。老人はこれを五六遍繰返してから、体をほぐした。
「みなさん、お判りになりましたか」
と言う。「ですから、どじょう[#「どじょう」に傍点]でも食わにゃ遣《や》りきれんのですよ」
実はこの一くさりの老人の仕方は毎度のことである。これが始まると店の中であることも、東京の山の手であることもしばらく忘れて店の者は、快い危機と常規のある奔放の感触に心を奪われる。あらためて老人の顔を見る。だが老人の真摯《しんし》な話が結局どじょう[#「どじょう」に傍点]のことに落ちて来るのでどっと笑う。気まり悪くなったのを押し包んで老人は「また、この鏨の刃尖の使い方には陰と陽とあってな――」と工人らしい自負の態度を取戻す。牡丹《ぼたん》は牡丹の妖艶ないのち、唐獅子の豪宕《ごうとう》ないのちをこの二つの刃触りの使い方で刻み出す技術の話にかかった。そして、この芸によって生きたものを硬い板金の上へ産み出して来る過程の如何に味のあるものか、老人は身振りを増して、滴《したた》るものの甘さを啜《すす》るとろりとした眼付きをして語った。それは工人自身だけの娯しみに淫《いん》したものであって、店の者はうんざりした。だがそういうことのあとで店の者はこの辺が切り上がらせどきと思って
「じゃまあ、今夜だけ届けます。帰って待っといでなさい」
と言って老人を送り出してから表戸を卸す。
ある夜も、風の吹く晩であった。夜番の拍子木が過ぎ、店の者は表戸を卸して湯に出かけた。そのあとを見済ましでもしたかのように、老人は、そっと潜《くぐ》り戸を開けて入って来た。
老人は娘のいる窓に向って坐った。広い座敷で窓一つに向った老人の上にもしばらく、手持無沙汰な深夜の時が流れる。老人は今夜は決意に充ちた、しおしおとした表情になった。
「若いうちから、このどじょうというものはわしの虫が好くのだった。この身体のしん[#「しん」に傍点]を使う仕事には始終、補いのつく食いものを摂らねば業が続かん。そのほかにも、うらぶれて、この裏長屋に住み付いてから二十年あまり、鰥夫《やもめ》暮しのどんな佗《わび》しいときでも、苦しいときでも、柳の葉に尾鰭《おひれ》の生えたよう
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