じょう[#「どじょう」に傍点]でも食わにゃ全く続くことではない」
老人もよく老名工などに有り勝ちな、語る目的より語るそのことにわれを忘れて、どんな場合にでもエゴイスチックに一席の独演をする癖がある。老人が尚《なお》も自分のやる片切彫というものを説明するところを聞くと、元禄の名工、横谷《よこや》宗※[#「王+民」、第3水準1−87−89]《そうみん》、中興の芸であって、剣道で言えば一本勝負であることを得意になって言い出した。
老人は、左の手に鏨《たがね》を持ち右の手に槌《つち》を持つ形をした。体を定めて、鼻から深く息を吸い、下腹へ力を籠めた。それは単に仕方を示す真似事には過ぎないが、流石《さすが》にぴたりと形は決まった。柔軟性はあるが押せども引けども壊れない自然の原則のようなものが形から感ぜられる。出前持も小女も老人の気配いから引緊められるものがあって、炉から身体を引起した。
老人は厳かなその形を一度くずして、へへへんと笑った。
「普通の彫金なら、こんなにしても、また、こんなにしても、そりゃ小手先でも彫れるがな」
今度は、この老人は落語家でもあるように、ほんの二つの手首の捻《ひね》り方と背の屈め方で、鏨と槌を繰る恰好のいぎたなさ[#「いぎたなさ」に傍点]と浅間しさを誇張して相手に受取らせることに巧みであった。出前持も小女もくすくすと笑った。
「しかし、片切彫になりますと――」
老人は、再び前の堂々たる姿勢に戻った。瞑目した眼を徐《おもむ》ろに開くと、青蓮華のような切れの鋭い眼から濃い瞳はしずかに、斜に注がれた。左の手をぴたりと一ところにとどめ、右の腕を肩の附根から一ぱいに伸して、伸びた腕をそのまま、肩の附根だけで動かして、右の上空より大きな弧を描いて、その槌の拳は、鏨の手の拳に打ち卸される。窓から覗いているくめ子は、嘗《かつ》て学校で見た石膏模造の希臘《ギリシア》彫刻の円盤投げの青年像が、その円盤をさし挟んだ右腕を人間の肉体機構の最極限の度にまでさし伸ばした、その若く引緊った美しい腕をちらりと思い泛《うか》べた。老人の打ち卸す発矢《はっし》とした勢いには、破壊の憎みと創造の歓びとが一つになって絶叫しているようである。その速力には悪魔のものか善神のものか見判《みわ》け難い人間離れのした性質がある。見るものに無限を感じさせる天体の軌道のような弧線を描いて上下する
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