とわたくしの間もこれと同じ気もちです。折々《おりおり》の歌でそれを表わして置きます。
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かりそめに叱《しか》りうべしや吾子《あこ》といへどこの天地のひとりの男《お》の児《こ》
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この歌は下手《へた》ですが子供を叱ったあとの気もちです。
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この世なるえにしふかくして母よ子と和《なご》みくらさんみじかきこの世を。
おみなごの足《た》らはぬふしや多からん母の名によりて許せよわが子。
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子供のキャッチボールのそれ球[#「それ球」に傍点]をわんわんのように這《は》って椽《えん》の下にさがしに行ったりどろだらけな靴下をつくろってやることもあります。しかしわたくしの下駄《げた》も子供に揃《そろ》えさせることもあり郵便をいれにやることもあります。こちらが小言《こごと》を云う時もありあちらから意見されることもあります。
女中《じょちゅう》に対しても同じです。余計《よけい》なお饒舌《しゃべり》や※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]言《うそ》を云《い》う時には口では云わずになるたけきつい[#「きつい」に傍点]顔して無言のいましめをしてやります。でも使い過ぎたり思い違いで云い過ぎたりしたと分《わか》れば「気の毒しました。」「すまなかった。」は直《す》ぐわたくしの口から出ます。
これらは何も家庭円満をはかろうの暮《くら》しよく家庭をしようのと巧利的な計画でやるのではありません。わたくしはわたくしの生きて行く信念と好みの潔癖《けっぺき》から家庭の者にこう仕向けないでは居《い》られないのです。近年は随分《ずいぶん》ヒステリックな他に居つけなかった女中などが長く居て呉《く》れます。
要するに。時々だらしがなく[#「だらしがなく」に傍点]なる心をひきしめてはわたくしの好みと潔癖と信念が以上のような生活にわたくしを置きます。たまたま円満な家庭との評を得たのはその無意識な結果に過ぎないのです。決して他人にこれを標示《ひょうじ》するというような潜越《せんえつ》な考えはありませんがたってとの御質問に辞《じ》しがたくてざっとお返辞《へんじ》しましたまでです。
底本:「愛よ、愛」メタローグ
1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
1976(昭和51)年発行
※「椽《えん》」「潜越《せんえつ》」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
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