岡本一平論
――親の前で祈祷
岡本かの子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)面白い画《え》を
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其《その》他|独歩《どっぽ》とか
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)いい[#「いい」に傍点]気
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「あなたのお宅の御主人は、面白い画《え》をお描《か》きになりますね。嘸《さぞ》おうちのなかも、いつもおにぎやかで面白くいらっしゃいましょう。」
この様《よう》なことを私に向《むか》って云《い》う人が時々あります。
そんな時私は、
「ええ、いいえ、そうでもありませんけど。」などと表面、あいまいな返事をして置きますが、心のなかでは、何だかその人が、大変見当違いなことを云って居《い》る様な気がします。もちろん、私の家にも面白い時も賑《にぎ》やかな折も随分《ずいぶん》あるにはあります。
けれど、主人一平氏は家庭に於《おい》て、平常、大方《おおかた》無口で、沈鬱《ちんうつ》な顔をして居ます。この沈鬱は氏が生来《せいらい》持つ現世に対する虚無思想からだ、と氏はいつも申します。
以前、この氏の虚無思想は、氏の無頼《ぶらい》な遊蕩《ゆうとう》的生活となって表われ、それに伴って氏はかなり利己的でもありました。
それゆえに氏は、親同胞にも見放され、妻にも愛の叛逆を企《くわだ》てられ、随分、苦《にが》い辛《つら》い目のかぎりを見ました。
その頃の氏の愛読書は、三馬《さんば》や緑雨《りょくう》のものが主で、其《その》他|独歩《どっぽ》とか漱石《そうせき》氏とかのものも読んで居た様です。
酒をのむにしても、一升《いっしょう》以上、煙草《たばこ》を喫《す》えば、一日に刺戟《しげき》の強い巻煙草《まきたばこ》の箱を三つ四つも明けるという風《ふう》で、凡《すべ》て、徹底的に嗜好物《しこうぶつ》などにも耽《おぼ》れて行くという方でした。
食味《しょくみ》なども、下町式の粋《いき》を好むと同時に、また無茶《むちゃ》な悪食《あくじき》、間食家《かんしょくか》でもありました。
仕事は、昼よりも夜に捗《はかど》るらしく、徹夜などは殆《ほとん》ど毎夜続いた位《くらい》です。昼は大方《おおかた》眠るか外出して居《い》るかでした。
しかしそうした放埒《ほうらつ》な、利己的な生活のなかにも、氏
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