おや、わたくしは何を書き出したことでせう。
「芸術家の夫に与ふる」といふやうな手紙を書くつもりなのでしたが。
 御免あそばせ、わたくしは今、こちらの部屋で(あなたのお部屋を背に一間の大床がどさりと部厚な銀砂塗りの壁で一面、ほとんどあなたのお部屋を隣国のやうにわたくしの部屋の彼方に仕切つてゐますのね)その原稿をどう書かうかと少しもてあましてゐるうちにくたびれてしまつて机へおしりをむけ背中を紫檀の机のわく[#「わく」に傍点]の彫ものゝ隆起へこりこり[#「こりこり」に傍点]と当てながら、足を、それでもこれはちやんと揃へて二本確実に前へ投げ出して居りますの。でも云ひわけではありませんが、そんなに醜い姿態とも自分では思ひませんの、投げ出したと云つても、その足は、ずつと長めに着た浴衣の裾が叮嚀に包んで居りますの、腰紐なしの着流しでもきちんと帯はしめて居りますから丸くまとまつてゐる膝の上に角のきちんとした半切原稿紙の一二枚はいだばかりの一冊を置いて、万年筆を片手にしながら思案して居りますの。
 さて、何と書かう、非常にやさしいやうでむづかしい。
 頭がまとまらないとちよつとのことにも気が散りますのね
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