に正確に処断《しょだん》する事が出来るものであり、また実際現代の女性たちは意識無意識に拘《かかわ》らず、彼女等の感覚によって大過《たいか》なく日常を処置《しょち》しているようである。
従《したが》って彼女|等《ら》をしてその特長の新感覚に広く磨《みが》きをかけさせたく思う。色調、形式美、音等に対する感覚ばかりでなく対人的、殊《こと》に異性に対する感覚をもっと洗練させ度《た》い。
この点、まだ現代の女性はイージーでセンチで安価《あんか》な妥協《だきょう》をして了《しま》うのが多い。異性に対し、もっと高貴《こうき》で確《たしか》な潔癖《けっぺき》を持って貰《もら》い度い。潔癖のない女ほど下等で堕落《だらく》し易《やす》いものはない。潔癖を持つ事は時に孤独《こどく》な淋《さみ》しさが身を噛《か》む事もあるが、恆《つね》に、もののイージーな部分にまみれないではっきりとして客観的にものを観察出来て、結局ロング・ランには正当に自己を処理《しょり》させるに違いない。私は現代女性の処世法《しょせいほう》を、感覚の洗練から講《こう》じようとする態度が最も現代的だと信じている。
底本:「愛よ、愛
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