通称トンカツであったかどうかは知らないが、西洋にいても日本人はよくこのトンカツを食べたがる。ところがこのトンカツなるものが西洋の何処《どこ》へ行っても一向《いっこう》見当《みあた》らないので失望する人が多い。イギリスのレストラントへ行ってメニュウを探して見るとポークカツレツというのがあるから、喜んで注文するとそれはわれわれの予期するカツレツではなくて日本の所謂《いわゆる》ポークチャップであった。トンカツは英語と考えている人があると見える。倫敦《ロンドン》で会った人の話に、その人もトンカツを英語とばかり思っていたので、レストラントへ行ってトンカツレツをくれと云《い》ったがどうしても通じないで非常に弱ったそうだ。
 トンカツに巡《めぐ》り会わない日本人はようやくその代用品を見つけて、衣を着た肉の揚物《あげもの》に対する執着《しゅうちゃく》を充《み》たすだけで我慢しなければならぬ。それは犢《こうし》の肉のカツレツである。フランスではコトレツ・ミラネーズと云い、ドイツではウィンナー・シュニッツレルと云う。
 フランス人はその名の示すようにこの料理を伊太利《イタリア》ミラノのコトレツと考え、ドイツ人は墺太利《オーストリア》の首府《しゅふ》ウィーンの料理と考えているらしい。差当《さしあた》ってこの両都市で本家争《ほんけあらそい》を起《おこ》すべきである。コトレツ・ミラネーズとウィンナー・シュニッツレルの異《ことな》るところは前者は伊太利風のマカロニかスパゲチを付け合《あわ》せとして居《お》り、後者が馬鈴薯《じゃがいも》を主な付け合せとしていることで、そこに両本家の特色を表わしている。



底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1976(昭和51)年発行
※「バタ」「空服《くうふく》」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
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