感嘆に価する安心でありました。が、やつぱりあき足りないにはあき足りない。やつぱりあなたがいつまでもあの月の雫の直立である電柱の下で、いつまでもいつまでも、私が、ポストの角からとうに曲つてしまつたのちのいつまでも、あなたから走り去つた私の背後の帯の輪の揺れ、着物の裾がひるがへつて月光に、どんな反色を見せたかといふことまでがあなたに幻影とまでなつてしまつてからでも、あの電柱の下に立ちどまつて、私に名残を惜んで下さるあなたの存在を見たかつた。私の失望といふのはそれですの。
でも、何といつても昨夜はうれしい夜でした。黙つて、黙つてゐるために、かへつて、二人とも切ない歓喜の哀愁がふかく胸をとぢたので御座いますね。月の前では、まつたく人間界の饒舌などほしいまゝにしてはすまないやうな冷厳な感じにうたれますのね、まして恋する身には……
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まだ以上、このラブレターの続きはあるのですが、もはや書き続ける根気もありません。なぜなら、このラブレターは筆者が自分の熱情をもつて恋人にでも送つたらうと思はれたら大変な違ひのものなのですから。これは、或る女が、ある男から恋愛を強ひられて拒絶した
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