バットクラス
岡本かの子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)公園小路《パークレーン》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)運ばれている|寝床の朝飯《アイオープンナア》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#3分の1、1−7−88]
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 スワンソン夫人は公園小路《パークレーン》の自邸で目が覚めた。彼女は社交季節が来ると、倫敦《ロンドン》の邸宅に帰って来る。彼女は昨日まで蘇格蘭《スコットランド》の領地で狐を狩って居た。その前はフランスのニースのお祭に招かれて行って居た。
 室内装飾の弧と線と面の屈折と角の直截と金属性の半螺旋《はんらせん》とが先刻から運ばれている|寝床の朝飯《アイオープンナア》の仕度を守って待ちくたびれている。この邸全体の造りはジョージアン式の古い建築だが、客間と食堂と彼女の居間だけは現代式に改造した。その余の造作を仕直す事は許され無い。保険会社の評価係の技師が、
「これほどの由緒ある建築にあまり手をつける事は賛成出来ない。骨董的《こっとうてき》価格を減損するというものだ。自然保険料を値上げしなければならない」
 と彼女の夫に忠告したからである。
 この邸には十七万|磅《ポンド》ほどの保険がつけてある。
 彼女の夫は保守党《コンサヴァチーブ》の上院議員だが政治には全く興味を持た無い。それよりも彼の家門の名望をできるだけ享楽する事に生き甲斐を感じて居る。英国や、欧洲大陸や、亜米利加《アメリカ》では、まだスコットランドの領主《ランドロード》という封建時代の鎧兜《よろいかぶと》を珍重する。一体人間は仮装会を好むものらしい。といってスコットランドの領主などという数代の手数のかかった鎧兜を今なお真面目顔で着て居られる人間も滅多に無いので、彼は世界到るところでもてる[#「もてる」に傍点]場所を見付けるのに骨が折れぬ。だが贈られたものには自然返礼が必要となり、各地で接待して呉れた人達を彼は英国で接待し返さなくてはならない。
 その上彼は、
「わしの城《キャッスル》にもぜひ来て見なさい。いろいろ面白い事がありますわい」
 などと愛想の好い言葉を容易に振り出すのだ。
「城」という言葉に魅着して本気で訪ねて来る連中がかなりある。だが客は多く亜米利加の家具月賦取附会社の社長の一族や濠洲の女金貸等で、フランスの伯爵夫妻やスペインの侯爵一家などはあまり来ない。
「城」に縁の遠い身分の連中ほど多く訪ねて来たがる。時にはまたとんだいかもの[#「いかもの」に傍点]が紛《まぎ》れ込む。ポーランドの貴族と自称する片眼鏡の男は城の中の礼拝堂から処女マリア像の眼を盗み取り、その上前スワンソン夫人を誘惑しかけて行ってしまった。処女マリアの彫像の眼は駝鳥《だちょう》の胃の腑を剖《さ》いて取ったという自然のダイヤがいれてあった。これをそっと紙で巻き耳の穴に押し込み、正門から素知らぬ顔で堂々とその片眼鏡のにせ貴族は退去したそうだ。そういう時でも、主人はあく迄英国の由緒ある旧家の主人としての体面上、人前であわてたり激怒の色を見せはしなかった。
 そういう事があったにしろ頻繁《ひんぱん》な主人の招待、被招待癖はやまなかった。彼の生理的運動には是非それも必要なものとなって仕舞っている。そして彼は客を受けるのに少くとも彼の家の紋章が持っている(欧洲古名家紋章録に載っている)骨董的品位にふさわしい程度には待遇しなければならないと考えている。競馬《ダービー》の馬も持って居なければならず、領地に狐狩の狐も飼って置かなければならず、城の台所にスコットランドの小唄を美い声でうたいながらパンをこねる[#「こねる」に傍点]女もたくさん養成して置かなければならず――大した費用がかかる。
 始めはこの古い家柄を衷心から尊敬するスコッチの大蔵大臣の肝煎《きもい》りで手堅い公債ばかり買い入れ、その利息で楽々生活費が支弁出来た。しかし彼の生活がかさむにつれ、段々自分極めで危険率の多い投資に関係し増収を図るようになった。フランス人のブローカーが彼の居間に自由に出入して殖民地の一獲千金的紙上利益をタイプライターが創造しているだけの計画書《プラン》を示し、彼に荘重な約束手形の署名をさせるようになった。もちろんスワンソンは欺《だま》されてばかり居るのだ。
 大蔵大臣をやめて仕舞ってからも、しばしば彼の失策の尻拭いはさせられ続けて来たスコッチの財政家も、とうとう煩に堪え無くなって彼に断り状を送りつけた。それには週末休日《ウイクエンド》のゴルフと漁季の鱒《ます》釣りとには依然親愛の情を持って御交際するが、その他の一切に関しては御交渉を絶ち度いという
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