っきり判らない。
――ムッシュウ・小田島! もう最後だから、何もかも私に云わして。
――最後って、此処で別れたからって何も君と僕とこれから逢えない訳は無いじゃ無いか。
――いいえ、最後よ。私、何も彼《か》もお話しすれば判りますわ…………さ、其処へ掛けましょう小田島。
[#ここで字下げ終わり]
 彼女は少し離れた崖際の木の下にあまり雨にも濡れずに置き捨てられた様な一つの古いベンチを見出した。二人は掛けた。四方は森閑として居る。折々遠方でポロ競技場の馬群に浴せる歓声が聞える。
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――私の性質に私の今までの仕事がぴったり合って居たと思って、小田島。私、仕事なんかに向く女じゃ無いのよ。今度の仕事なんかも私が腕がある女と見込んだのより却って私の子供っぽい性質が人に好かれたり人を油断させたりするのが、命令した人達の目の着け所だったのよ。
――それは僕にも判る。
――私のこの性質が私を或点まではどの仕事の時にも私を仕合《しあわせ》にしたり私に面白い目を見せて呉れたのよ。でも結局は仕事ですもの。仕事となれば何だって辛《つら》いのよ。だから、私の辛い時の愚痴や溜息や、私のたまに気がはずんで得意になってするお喋舌や、それから慰めが欲しくなってするいたずら[#「いたずら」に傍点]なんかを、黙って受けいれて呉れる人が欲しかったのよ。でなけれや、私の生きる根が無くなっちまうのよ。
――ふむ。
――でも欧洲人には誰一人そんなことに堪えて呉れる人は無かったのよ。欧洲人というものは理解無しには何事にも肩を入れて呉れない性質の人種よ。私のこんな妙な性質は説明したところでなかなか理解しては呉れ無いのよ。また説明して理解して貰っちまうと今度は私に対して父親や母親のような気構えになって、あんまり単純に甘やかし初めるのよ。贅沢を云う様だけど私の望んで居る「条件」を男としてかなえて呉れる魅力を無くして仕舞うのよ。私沢山の欧洲人に失望してあなたを見付けたのよ。
――うむ。だんだん君の話が判って来たよ、イベット。
――まあ聞いてて…………今まであなたは私のすることに無関心であるらしい程黙って私に何でも勝手を為《さ》せて呉れたわね。それで居て全然私に興味が無いという素振りでも無かったわね。あなたこそ私の妙な慾望に堪えて呉れるただ一人の男だと、私心の中で感謝して居たの。
――判った。イベット。よく判った。
――まあ聞いてて…………まったくあなたは今まで私の気儘な謎に何の説明も求めずつき合って下さったわね。私ね、それが東洋人のあなたの性質の特徴かと思って居たのよ。
――ちょっと待って、イベット。
[#ここで字下げ終わり]
 小田島は額の汗を急いで拭くとイベットの肩をしっかり掴んで揺ぶった。
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――悪かった。僕は矢張り君に対して今迄の僕で居ようね、イベット。
――ええ、有難う…………でもあなたの真当《ほんとう》の処が判って見れば…………それにもう何もかも最後のお別れだわ。
――済ま無い、悪かった。
――いいえ、私こそひと[#「ひと」に傍点]をそんな勝手な相手にして置こうなんて虫が好過ぎたのよ。私こそ済まなかったのよ。でも私、幾度も云うようだけど上べはこんな勝気で陽気な女だけど、どうかすると、まるで堅い人間の壁の様になる時があるのよ。そしてその中へ孤独の自分を閉じ込めて息を吐かせない時があるのよ。
――僕もそういう時の君によく出逢った。僕は陽気な君より、そういう時の冷たい君が好きだった。
[#ここで字下げ終わり]
 小田島は、ごくりと一つ生唾《なまつば》を呑んだ。
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――ねえ、イベット。国事探偵なんて君にはあんまり大役ですよ。君はもうそんな危険から抜け出してもっと気楽な身分になりなさい。君の為に遺産の遺言状まで書いて居るお爺さんさえ有る相じゃないか。早く巴里へ行ってそのお爺さんの養女にでもなって気楽な身分におなんなさい。
[#ここで字下げ終わり]
 イベットがそっと眼に当てたハンカチが、涙を拭いて居るように小田島には見えた。
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――有難う。でも何もかももう晩いのよ。私はもうフランスには居られ無いの。国事女探としてフランスの黒表に載って仕舞ったのよ。私送還されるのよ、西班牙へ。そして国元の西班牙へ返されたところで私に探偵を命令した反プリモ党は何時天下を覆《くつが》えされるか判ら無いのよ。どっちみち、塀の前の楡《にれ》の木の下で私が銃殺の刑に会うことは知れ切ったことなのよ。
――イベット、それは本当か?
――ええ、本当ですとも。
[#ここで字下げ終わり]
 イベットは一寸あたりを見廻した。人は居なかった。が、イベッ
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