張し、両手を堅く握り合せ、床に足首を立て重い靴の先で場内を見廻って居た。
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――そうら。遂々《とうとう》また見付けた!
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四百九十三号室の女である。
小田島は腹立たしくなった。この女は、まるで誰かに頼まれでも仕た様に、この土地へ来てから自分の行く先々に付いて廻る。実に面白くも無い邂《めぐ》り合《あわ》せだ。
だが女は、小田島がそんな腹で居ようが居まいがという調子でぐんぐん男の腕を捲いて仕舞った。仕方がない! 酔って居ないのがまだしもだ、なまじい逆《さから》って喚《わめ》かれるより逆に利用して此処の説明でも聞く方が増しだと彼は腹を極《き》めて仕舞った。女はしかし、何か非常にこだわっで居るように興奮して居る。そして捲いた男の手を力強く曳いて暫く場内をあちこち歩いて居たがふと立ち止ると急いで腕を解き邪慳《じゃけん》に小田島の耳朶《みみたぶ》を引いた。
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――イベットが居る。あんた、イベットが見度くって来たんだろう。ちゃんと知ってる。
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五百フランのテーブルにイベットが居た。「親元」に立って居る老紳士の真向いのテーブルに女王のような取り済し方で臨んで居る。彼女は顔に非常に似合う好い色の着物を着て居る。テーブルの組の人達もみんな彼女にその権威を許し彼女の機嫌に調子を合せて居るように見える。中でも彼女の隣の猪首で年盛りの男は卑屈なほど彼女の世話を焼いて居る。
イベットも小田島の来たのを認めた。すると態《わざ》とらしく猪首の男の肩に凭れ、疲れを癒す真似《まね》をした。男は眼を無くしてイベットの手の指を接吻した。彼女はまたちらと小田島の方に眼を遣ったが連れの女には眼も呉れなかった。小田島は勿論、こんな女が自分の傍に居るのを知ってもイベットが何とも思わないことを知って居た、それよりもイベットの子供らしいとはいえ態《わざ》と自分にからかって他の男に巫山戯《ふざけ》る様子にいくらかの嫉妬を感じた。だがそれよりも尚《なお》彼は連れの女の不思議な様子に気を奪《と》られた。女はイベットから無視されたにも拘らず、イベットが此方《こちら》を向くとそそくさ目礼し愛想笑いをし、送りキッスまでした。而《しか》も顔は興奮に青ざめ、息使いまでがせわしい。女はイベッ
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