きら》めさせられるだけだった。
冬が来て春が来た。四郎の人気はだんだん落ちて、この頃では、白粉《おしろい》や紅を塗《ぬ》って田舎芝居《いなかしばい》で散々|愚弄《ぐろう》される敵役《かたきやく》に使われているという風評になった。お蘭は身を切られるように思いながらじっとその噂を聞いた。四郎がたとえこの町へ帰って来てもどうなるものではない。馬鹿を悧巧にしてやることが出来るというでもないがしかしとにかく、早く帰って来て欲しいと神仏へ祈請《きせい》もした。
また幾《いく》つかの春秋が過ぎた。四郎の噂は聞かれなくなった。
父親は死んで、お蘭は家を背負わなければならなかった。生前に父親も親戚《しんせき》も婿《むこ》をとるようかなりお蘭を責めたものだが、こればかりはお蘭は諾《うべな》わなかった。四郎が伝え聞いたらどんなに落胆《らくたん》するであろう。この心理がお蘭には自分ながらはっきり判らなかった。お蘭の玉の緒《お》を、いつあの白痴が曳《ひ》いて行ったか、白分が婿を貰い、世の常の女の定道に入るとすれば、この世のどこかの隅であの白痴が潰《つい》え崩《くず》れてしまうような傷《いた》ましさを、お蘭の心がしきりに感ずるのをどうしようもなかった。
北海の浪の吼《ほ》ゆる日、お蘭は、四郎が今は北海道までさすらって興行の雑役に追い使われているということを聞いた。
いつか婚期を失ってしまったお蘭は自分自身を諦め切っている気持に伴《ともな》って、もはや四郎を生ける人としては期待しなくなった。
私はこの話を昼も杜鵑の鳴く青葉の山へ行っても、晩の歓迎会《かんげいかい》の席でも、また宿屋へ帰っても古いことを知ってそうな年寄りを見つけると、訊ねて聞き取ったのである。歓迎会で会った老婦人の一人は言った。
「お蘭さんは、まだ生きているはずでございます。××蘭子と言うのです。何なら尋《たず》ねてご覧遊ばせ。F――町はちょうど講演にお廻《まわ》りになる町でもこざいましよう」
私が尋ねるまでもなく私がF――町へ入ると、停車場へ出迎えた婦人連の中にお蘭を見出した。白髪《はくはつ》の上品な老婦人で耳もかなり遠いらしく腰《こし》も曲っている。だが、もっと悲劇的な憂愁《ゆうしゅう》を湛《たた》えた人柄《ひとがら》を想像していたのに、極めて快活で人には剽軽《ひょうきん》らしいところを見せ、出迎えの連中の中での花形になっていた。
私は河鹿《かじか》の鳴く渓流《けいりゅう》に沿った町の入口の片側町を、この老婦人も共に二三人と自動車で乗り上げて行った。なるほど左手に裾野平が見え、Y山の崖《がけ》の根ぶちに北海の浪がきらきら光っている。私は同席の人もあるので、どうかと思ったがお蘭老婦人のあまりに快濶《かいかつ》な様子に安心して訊いてみた。
私がたずねようとした四郎という白痴の少年の名だけを聞き取った彼女はすぐこう言った。
「一時は四郎も死んだことにして思い諦めましたが、なにしろ自分より六つ七つ若いのですからまだ生きているかも知れません。もし四郎が帰って来たら労《いた》わって迎えてやる積りです。こう心を定めてから、気持はだいぶ楽になりました」
だから一時|拵《こしら》えた四郎の位牌《いはい》も何もかも捨ててしまって、折につけ四郎の消息を探ることにしていると、お蘭老女は語った。
私は、不思議な人情を潜《くぐ》った老女の顔に影《かげ》のように浮《う》く薄白《うすじろ》いような希望のいろを、しみじみと眺《なが》めた。そして一人の女性にこうまで深く染み通らせた白痴少年の一本気をも想《おも》ってみた。その夜、客となった長者の家の奥座敷で食事後休んでいると、お蘭老女が尋ねて来た。そして話の途絶えた間、北海の浪の音を聞いていると、私はこの老婦人と一緒に永遠に四郎を待つ気持になれた。烏賊《いか》つり船の灯が見え始めた。
[#地から1字上げ](昭和十二年十月)
底本:「ちくま日本文学全集 岡本かの子」筑摩書房
1992(平成4)年2月20日発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
入力:さぶ
校正:しず
1999年3月20日公開
2005年11月30日修正
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