《てんかん》させ、生活に張気を起させる容易なものがあったらしい。マスコットというものはそうしたものである。
 町々の人は少年を歓迎《かんげい》し始めた。少年の姿を見ると目出度《めでた》いと言って急いで羽織袴《はおりはかま》で恭《うやうや》しく出迎《でむか》えるような商家の主人もあった。華々《はなばな》しい行列で停車場へ送ったりした。少年の姿は絹物の美々しいものになった。町の有力者は言った。
「あの白痴を呼んで来るのは町の景気引立策にもいいですなあ」

 北国寄りのF――町の表通りに、さまで大きくはないがしっかりした呉服店《ごふくてん》の老舗《しにせ》があった。お蘭《らん》という娘《むすめ》があった。四郎はこの娘が好きでF――町へ来ると、きっとこの呉服店へ立寄った。四郎はお蘭の傍《そば》にいるだけで満足した。お蘭の針仕事をしている傍に膝《ひざ》をゆるめて坐って、あどけないことを訊《たず》ねたり単純な遊びごとをしたりした。小春日和《こはるびより》の暖かい日にはうとうと居眠《いねむ》りをした。ときに眼を覚まして、そこにお蘭のいるのを確めると、また安心して瞼《まぶた》をゆるめた。
 お蘭は、世の中の雑音には極めて怖《おび》え易《やす》く唯《ただ》一人、自分だけ静な安らかな瞳《ひとみ》を見せる野禽《のどり》のような四郎をいじらしく思った。彼女《かのじょ》はこの人並でないものに何かと労《いたわ》りの心を配ってやった。それは母か姉のような気持だった。こうしているうちに一つの懸念《けねん》がお蘭の心に浮《うか》んだ。あるとき彼女は四郎にこう訊《き》いた。
「もし、あたしがお嫁《よめ》に行くとき、四郎さはどうする」
 四郎は躊躇《ちゅうちょ》なく答えた。
「おらも行くだ、一緒《いっしょ》に」
 お蘭は転げるように笑った。
「そんなこと出来ないわ。人を連れて嫁に行くなんて」
 四郎には判らなかった。
「どうしてだ」
「お嫁に行くということは私が向うの人のものになってしまうのだから、その人が承知してくれないじゃ、一緒に行けないのよ」
「お蘭さが誰かのものになるというだかね」
「そうよ」
「ふーむ」
 白痴の心にもお蘭が自分から失われ、自分は全く孤立無援《こりつむえん》で世の中に立つ侘《わび》しさがひしひしと感じられた。現われて来る眼に見えぬ敵を想像して周章《あわ》てはてた。
「お蘭さ、嫁
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