きりした涼《すず》しい眼《め》つきだけは撮《うつ》されている男女に共通のものがあってこの土地の人の風貌《ふうぼう》を特色づけていた。
 だが、私が異様に思ったのは、それらに囲まれて中央に貼《は》ってある少年の大きな写真である。写真それ自体がかなり旧式のものを更《さら》に年ふるしたせいもあるだろうが、それにしても少年の大ようで豊かでそして何か異様なものが写真面に表われているのに心がうたれた。
 少年はいい絹ものらしい着物を無造作に着て、眼鼻立《めはなだ》ちの揃った顔を自然に放置していた。いくら写真を撮し慣れた人でも、これくらい写真機に対して自然に撮させた顔も尠《すく》なかろう。
 私が思わず硝子《ガラス》近く寄って、つくづく眺《なが》め入るのを見て、有志の一人は側《そば》に来て言った。
「それは、東北地方では有名だった四郎馬鹿《しろうばか》の写真です」
「白痴《はくち》なのですか、これが」私は訊《たず》ね返した。
「白痴ですが、普通《ふつう》の馬鹿とは大分変っておりまして、みんなに、とても大事にされました」
 そして、これも遠来の講演者に対する馳走《ちそう》とでも思ったように四郎馬鹿について話してくれた。

 汽車の係員たちまでがこの白痴の少年には好意を寄せて無賃で乗車さす任意の扱《あつか》いが出来たというから東北の鉄道も私設時代の明治四十年以前であろう。この町に忽然《こつぜん》として姿の見すぼらしい少年が現われた。
 少年は、見当り次第の商家の前に来て、その辺にある箒《ほうき》を持って店先を掃《は》くのである。その必要のある季節には綺麗《きれい》に水を撒《ま》くのである。そうしたあと、少年はにこにこして店の前に立って何かを待つ様子である。
 始めは何事か判《わか》らなかった店の者は余計なことをすると思って、少年の所作を途中《とちゅう》で妨《さまた》げたり、店先に立つ段になると叱《しか》って追い放ったりした。少年は情ない顔をして逃《に》げ去る。ときどきは心ない下男に打たれて泣き喚《わめ》きながら走ったりした。
 けれども少年はしばらくすると機嫌《きげん》を取直す。というよりも芥《ごみ》を永く溜《た》めてはおけない流水のように、新鮮《しんせん》で晴やかな顔がすぐ後から生れ出て晴やかな顔つきになる。そしてもう別の店の前を掃くのであった。
「性質のいい乞食《こじき》なのだ。
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