れると彼は腹で歯噛みをしながら「いけない」とは決して口へは出されなかった。
感慨がしきりに催して来た国太郎がうつろに眺めている往来の泥濘に幾十百かの足は往来したが、彼の店には一つも入って来なかった。自分のところの店番の若者と小僧の足袋跣足《たびはだし》の足が手持無沙汰に同じ処を右往左往する。眼を挙げて日本橋を見ると晴れた初夏の中空に浮いて悠揚と弓なりに架《か》かり、擬宝珠《ぎぼうしゅ》と擬宝珠との欄干《らんかん》の上に忙しく往来する人馬の姿はどれ一つとして生活に自信を持ち、確とした目的に向って勇ましく闘いつつある姿でないものは無い。「それに引きかえ自分一人は、没落の淵にぶくぶく沈みつつあるものだ」こう思えて仕方がなかった。彼は舌打ちをして店の者に言った。
――もう店をしまえ。おれはこれから客人の交際《つきあ》いに直ぐ吉原へ行くから。家へ帰ったら、おかみさんにもそう言っといて呉れ」
三
日本堤まで人力車で飛ばして、そこから国太郎はぶらぶら歩き出した。すべてが惰性と反撥で行動しているように思える自分について、もう少し考えたかった。青楼へ上ってしまえば自省も考慮ももうそれまでだった。昼の日本堤は用事のある行人で遊里近い往還とも思われなかった。藁葺《わらぶき》屋根を越して廓《くるわ》の一劃の密集した屋根が近々と望まれた。日本建ての屋根瓦のごちゃごちゃした上に西洋風の塔が取って付けたように抽《ぬ》き立っていた。すべてが埃《ほこり》に塗《まみ》れて汚らしく、肉慾で人を繋ぐグロテスクで残忍な獄屋の正体をありありと見せ付けられる感じがした。空だけが広く解放されていて、そこに鳶《とんび》と雲がのびのびと泛《うか》んでいた。国太郎がこの堤を歩くのは今が始めてではなかった。彼はどこの遊里へ入る前にも俥《くるま》を下りてしばらく歩くのが癖だった。遊里へ入る前ほど彼の気持を厳粛にし反省深くするときはなかった。そしてそのときほど彼は彼の若き妻を想うときはなかった。
相当の地位の官吏の娘と生れ、英語塾で教育を受けた彼の妻の梅子は、当時に於てはモダンにも超モダンの令嬢である筈だ。ところが歌舞伎芝居が好きで、わけて[#「わけて」に傍点]田之助びいきの処から、其の楽屋に出入りしているうち同じ贔負《ひいき》の国太郎と知り合い、官吏の家庭とはまるで世界の違う下町生活の話を聴い
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