《じょじょう》的世界、何故|其処《そこ》の女主人公にママはなり切らないのですか。ひと[#「ひと」に傍点]のこと処《どころ》ではないでしょう。ママがママの手を動かして自分の筆を運ぶ以上、もっと、ママに急迫《きゅうはく》する世界を書かずには居られないはずです。それを他国の国情など書いて居るのは、やっぱりママの小児性《しょうにせい》が、いくらか見せかけ[#「見せかけ」に傍点]の気持ちに使われて居るからですよ。ママ! ママは自分の抒情的世界の女主人に、いつもいつもなって居なさい。幼稚《ようち》なアンビシューに支配されないで。でなければ、小説なんか書きなさいますなよ。
[#ここで字下げ終わり]
かの女の息子の手紙である。今、仏蘭西《フランス》巴里《パリ》から着いたものである。朝の散歩に、主人|逸作《いっさく》といつものように出掛《でか》けようとして居る処《ところ》へ裏口から受け取った書生《しょせい》が、かの女の手に渡した。
逸作はもう、玄関に出て駒下駄《こまげた》を穿《は》いて居たのである。其処へ出合いがしらに来合わせた誰かと、玄関の扉《とびら》を開けた処で話し声をぼそぼそ立てて居た。
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