襲!
花は見る間に振りおとされて、その白い花瓣を全身にあびた喪心の木二つ、
さながら地獄の骨まばらな木にも似て……
[#ここから2字下げ]
ああフランチスカとパオロ、
渇ける口に火の呼吸《いき》、
とざせる胸に情《じやう》のたかまり、
御身等《おんみら》は死んだ、
嫉妬の黒い鋼鐵《はがね》の劍《つるぎ》。
[#ここで字下げ終わり]
それは恐らく私が夢見るのである、傷心の風俗畫《ミニアチユル》……
疾風《はやて》吹《ふ》きめぐる地獄の空を、
顏見かはし相倚る二つの影。
[#ここから2字下げ]
ああフランチスカとパオロ、
戀の火の灰、
ふりそゝぐ雨、
御身等《おんみら》は死なぬ、
今の世にもそれあり……
[#ここで字下げ終わり]
騎士
[#ここから3字下げ、折り返して4字下げ]
Ma jeunesse ne fut qu'un 〔te'ne'breux〕 orage,
〔Traverse' c,a` et la` par de brillants soleils;〕
Le tonnerre et la pluie ont fait un tel ravage,
Qu'il reste en mon jardin bien peu de fruits vermeils.
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]Charles Baudelaire.
わが露《あらは》な胸が初めて君の赤い脣をうけ、君の脣を押しあてられた一瞬時、
わが二十幾年の孤獨の境涯底ふかく祕《ひ》められた黒い鐵櫃は、
奇しくも黄金《わうごん》の十字の紋章かゞやきいだし、感激に眩《めくる》めく一使徒がバプテスマの河をよろめき足して岸に這ひあがるごとく、
わが多端にして光あふるゝ未來の陸地《をか》へとわたしはよろめき押しだされた。
敗殘のわが旗を新しく染め、黄金の色燦たる十字の紋章をしるし、
今わたしは君の前へと敬虔にひざまづく裸の騎士、
戀は快樂でない、心の輝きである、おゝわが胸よりこの神を放したまはざれ!
胸に感激のこの火花ひらめき出でしときわが鼓動の鳩尾《みぞおち》に君の脣はこれを感じたまうたか。
今世界は黒い旗をおろし、青空の幕をかゝげ、その中天《ちゆうてん》に仰げとばかり、
破るゝがごとき光こぼつ日を照らし出した、ああこの最初のキス。
鵠
狂はしい位魅力ある海の彼方《かなた》を遠くにかいま見つゝ、
その金剛石《ギヤマン》に輝く空のひかりを、
(彼處《かしこ》にはよい國あり……)
いま見くらべて悲しみ嘆くああ眼下のわが古巣の土地、
そこには起伏する山河《さんか》幾百里のうねり、
たはむれる獸、遊ぶ鳥の影ひとつ見えぬおびえの國、
ああ蹼《みづかき》の赤い脚さへおろし得ぬ土地に今空より優しい聲をおとし、
御身等《おんみら》のよい心のために祈らう、鵠《くぐひ》の鳥、
ああ祈らしめよ、祈らしめよ、この人生の逆風に吾が弱い心のまた吹きおとされぬやう、
ああ祈らしめよ、祈らしめよ、片羽《かたはね》おとして死身《しにみ》に飛ぶ『生』の險路のまた突きやぶれるやう、
(わたしは微笑《ほほゑみ》を欲す……)
そして天《あま》がけり、青い空をゆき、御身等《おんみら》のうへに、
この胸にひそむ火の叫びを雪ふらさう、わが希《ねが》ひとして……!
夜語り
Well my dear, あれはお伽話見たいな話だよ、
おれもお前も知らない世界、
雪降る窓に蝋燭の灯あかあかと、
家内そろつてお年越しの祭り……
(丸太小舍には息吹《いぶ》く年の瀬。)
Well my dear, あれは遠い遠い向うの國のことだね、
おれもお前も知らない國のこと、
銀紙のピカピカ光る小枝に綿の笹縁《ささべり》の雪、
七面鳥と土産の麥酒《ビイル》に笑ひさざめく一家内。
(丸太小舍には降りつもる年の雪。)
Well my dear, あれは私等の國にはない、
俺もお前も話で聞いた土地風俗、
そして夜更となり、村中寢沈まり、
はためく吹雪のなかの煙突。
(丸太小舍には此の頃忍び込む、例の赤裝束のお爺《ぢい》さん。)
Well my dear, あれはあの國の面白い人情だね、面白い人情……
おれもお前もほほゑむ世界、
ところであの國の人間は今|鬪《たたか》つてゐる、
そしてああ彼《あ》の一夜の祝ひ、
敵も味方も抱《いだ》きあふ雪の原つぱ、
兵隊外套連の交歡の賑ひ。
(丸太小舍には老の夫婦、夜半《よなか》頃から鳴きだす蟋蟀。)
[#ここから2字下げ]
作者註。この作は歐洲戰爭中獨墺軍と聯合軍とが特にクリスマスの夜のみは戰ひをやめて敵味方打交り隨所に會合して當夜の祭を祝し合つたのを思ひ出して書いたものである。年の瀬年の雪とは歐洲の習俗にて當夜の祝ひが日本の大晦日の年越しの祝ひの如き氣せられるより用ひた言葉である。なほ蟋蟀は彼地にては當夜あたりまで爐邊に棲息するが如し。
[#ここで字下げ終わり]
苦惱
わたしの心|惡鬼《あくき》のやうに物皆かなぐり棄てて髮振り亂し、
この人生に立ち迎へ、おお!
恍惚の日、初めて脣と脣を合せた日、一週日のあと、
この險惡な嵐の心にわたしは落つ。
おお何ものがわたしを斯くするか、斯くするかよ!
雨よ打て、わが鞭となり、
風よ吹け、その夜の黒い汁を無限にゆらめかし、
そして此の惱みに沈む青年の亂髮を思ひのまゝに梳づれ。
ああ生は見よ、私のために高く攀ぢがたい門となつた。
ああ戀人よ、遠くに靜かに眠る戀人よ、
身はのめり、魂は死し、
その上に狼は
足を踏まへて闇のなかに吠える!
[#地から1字上げ]8 ※[#ローマ数字1、1−13−21] 2
過去
自然は私に教へた、わたしの心は青く硬《かた》い果《このみ》のやうであることを。
わたしの今の時期はああ、その果《このみ》を眞茂《ましげ》る葉から日にさしのばす初夏の時期
わがために短かつたあの春は嵐の哮《たけ》りに、暗い氷雨《ひさめ》の打撃《うち》に、
さむい天氣の打續きに、
幾團の花はもぎとられてしまひ、
殘りのものに何時知らず孕みし果《このみ》……
おお指折り數へよ、この可憐《いたいけ》な生のしるし、
心細くも青天井の空を葉越しに垣間見て、
今むかへるや無辜の石室《いはむろ》の囚人のやうに、
この華《はなや》かな七月の日を!
おお幼年の時から青春まで幾つのわたしの絶望、荒い心の傷、あの黒い吐血の追憶《おもひで》、
今この美しい空のもとに何事もなく、
すべては清けだち、晴れ晴れし、萬《よろづ》のもの賑かに、
木下《こした》の風はなかを無心に吹きめぐる……
さらにその微風に乘つてひびいて來る優しい羽音、
わが華奢な明るい戀人、黒と黄だんだらの尾の蜜蜂、
荒い自然の搖《ゆす》ぶりも、今は吾れには唯だ唄とのみなる……
[#地から1字上げ]8 ※[#ローマ数字4、1−13−24] 17
出發
私の生活は始まつた。
野中の二岐路《ふたまたみち》に咲く黄色の蒲公英《たんぽぽ》、
そこには吾が過去の脱衣所あり、
吾が裸足《はだし》の足を立つべき芝草の褥《しとね》あり、
季節は春、その朗らかな晝空に漂ふ白い雲、
この雲のため、ああこの雲のため、私は一生口を噤んでものいふまい、
そしてこの二岐路《ふたまたみち》のひとつを選んで古代|希臘《ギリシヤ》青年のやうに驅けださう。
人を囚へて惡逆の淵に突きおとす人生の禍《まが》つ事《ごと》、
私はそれをも身輕に飛びこさう。
例しへない吾が生、青春と明るさと大膽と……
私はそれをもつてこの春の地を驅け出さう。
慰安
君の前に今わたしが捧げる此の野咲きの薔薇、粗野にして田舍娘のごとき可憐なこの紅い花を、
おお青空がもとの墓石よ、
小さい名もない路傍《みちばた》の墓石よ、
吾がつつましい春日の旅の第一日に、君が無言の膝の裝りとなすを容したまへ、小さい名もない路傍の墓石よ、墓石よ。
死の標《しるし》たる君のまへに春はまた輝き、
暗い冬の夜の呻吟《うめき》に惱ませられた北方|漂泊者《ジプシイ》のわたしは、
いまその雪と泥との着物をぬぎ、
古ぼけた杖を棄て、
鋭どく明るく詩《うた》のごとく、また一人の勇者を送る莊嚴の獨唱《ソロ》のごとく、
この春日《はるび》のもとに君のことを考へる、小さい名もない墓石よ、墓石よ。
ああ春日よ、春日よ、
ああ死よ、睡眠《ねむり》よ、
君達の虚心の輝きは、
わたしの上に情熱の淨《きよら》かな行手を示し、
おおそしてそして、此の名もない路傍の墓石は、墓石は、
わたしの生のため深い慰めを與へる……
[#地から1字上げ]8 ※[#ローマ数字4、1−13−24] 3
恢復
人生は苦難と愛の庭、
荒い心に温柔をつつみ、
眞茂《ましげ》る木《こ》の葉に紅《あか》い實點々と、
秋の日照りに槇の並樹の、
逞しく足を揃へるその苔青い幹。
やがては冬來り、葉は落ち、
枝はささくれ立ち、
あの險《けは》しくも白眼《しろめ》をした雪もよひの空、
寒い雨、
地《ち》凍《こご》る霜の夜明け、
君の呻《うめ》きは細枝《さえだ》をふるはし、低い空を嘯《うそぶ》かう。
缺乏の黒い感情、
苦痛に充ちた忘失の眼、
この身にふりかかる苦しみの出所は何?
やがては池の氷も黒ずみ、
廣い畠地《はたち》は割れ、
さびしくも小鳥鳴き、
天地ことかはる季節のさかひに、
君はその時見ぬか、ああ見ぬか、暗く嚴かに淋しくまた賑かな春と冬との分れ目を!
空は暗く、風は低く、日は短く、
しかし何處《いづこ》にか胸にはらむ恢復の希望……
[#地から1字上げ]8 ※[#ローマ数字4、1−13−24] 4
底本:「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社
1966(昭和41)年8月19日初版第1刷発行
1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷発行
初出:「展望」新潮社
1920(大正9)年6月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「太陽の子」からの十七篇は底本では重複するので省かれています。
入力:川山隆
校正:土屋隆
2008年8月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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