子』初期の甘やかな感傷と『惠まれない善』の荒い激情とを、抒情詩主義《リリシズム》時代と現實主義時代との二段に變遷し來つた私の詩的閲歴の二期とすれば、最後のクラシツクの調を帶び來つた現在は、その第三段の變化たる古典主義時代とも稱すべきもので、この詩集は即ちこの私の作風上の變遷に應じて、三部に分けたものである。
古典主義に關してはこのイズムに關し日本在來の既定の解釋があつて、その點國典に素養薄い私なぞは斯く聲言してしまふのを自らおそれるが、現在私の作風が敢てその特色あることを指摘して置いて、それと前の時期二つのそれ/″\特色ある作とをならべて置いて、私の詩的閲歴をこゝに全部展開する。この一目のもとに私の作の諸特徴を讀者の前に供へること、これがこの集の體裁を採らしめるに到つた主意である。私の作、不人氣なる詩人、私の初めて世に出した『太陽の子』は七百の部數のうち百部も賣れなかつた。第二の詩集『惠まれない善』の公刊は、最も賣行き惡い私刊の雜誌特別號を以て宛て、之も讀者の手二三十に渡つたに過ぎない。私はこの自己の逆運を嘆くために敢てこれをいふか。否、私は自白する。私は自己の作には常に自信を持たない
前へ 次へ
全39ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福士 幸次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング