《モエ》を喰ふ牛の牝《ハダ》の柔和《ヤヤシミ》がある。そしてこの牝牛《ハダベコ》は恐らく私が二歳《ふたつ》の年齡《とし》から十六の年齡《とし》になるまで心を惹きつけられた同じ土地のあらゆる處女《しよぢよ》の眼遣ひをして、此の私といふ狹隘で、横着に人間生活を悟りすまし、世間智でもつて硬化《かうくわ》し切つてゐる者の心を、不意に轉落《てんらく》させるだけの效果がある! ……

 友達の眼の長く切れた痩《や》せ形《がた》の細君《さいくん》と、まだ處女で肉付に丸味のある妹とは、その色白の肌に海水着の黒いのを着て、ボートの板子《いたご》に一緒に取り附いて泳《およ》いだ。彼女等はこの地方《ちはう》の山地の出生で、この日はじめて海に這入《はい》るのだが、黒色の胴《どう》の人魚《にんぎよ》で無からうかと幻覺を起させるほど、ここの風景に調和した慣海性があつた。彼女等はキヤツキヤツと叫びながら、白い足で水を高く蹴飛ばし蹴飛ばし、海岸と並行して泳いで行き、また泳いで歸つた。その歡喜に見ひらかれた眼には、肉感や淫猥を拔け出た貪婪《たんらん》さが溢れてゐた。私は友達と砂の上に居殘つてこれ等婦人の動作や表情やを見まもり、その後ふと眼を轉じて、あの孔雀石と翡翠とで明暗を隈《くまど》つた半島を見まもつた。そして太陽の光線のために無論視線の彎曲されてゐるのを自覺して、實際の映象中の岬の突端を實在の突端へと想像に描きながら、その往日《むかし》そこの斷崖《ガンケ》を攀《よ》ぢて此方の灣《いりうみ》の岸を見かへしたことがある、私の十六の春を回想した。

  百姓女《ジヤゴヲナゴ》の醉つぱらひ

 汝《ンガ》の夫《オド》ア何歳《ナンボ》だバ。吾《ワイ》のナ今歳《コドシ》二十六だネ。何《なに》、笑《わら》ふんダバ。汝《ンガ》の阿母《オガ》の姉《あね》ダテ二十歳《ハダヂ》も下《した》の男《ヲドゴ》有《も》たけアせ。吾《ワ》だけアそれ程《ほど》違《チガ》はねエネ。ンヤ好《エ》デヤなア、雪《ユギ》ア解《と》ゲデセエ、鯡《ニシ》ゴト日當《ひあダ》りの屋根《ヤネ》サ干すエネ成《な》れば田《タコ》ア忙《エそ》がしグ成《な》テ、夫《オド》と晝間《シルマ》まで田《タコ》掻廻《カマ》して、それガラ田畔《タノクロ》サあがテせ、飯《ママ》も喰《ク》ば、酒《サゲ》も藥鑵《ヤガンコ》サ入《エ》れダノゴト二人で仲《ナガ》よグ飮《の》むア
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