家の二三軒しかない眞つ暗な路を通つて、自分の家にかへる。イギリスあたりの水彩畫にある高い茅屋根と、窓あかりを樹木の間から現してゐる百姓家が、まばらな家並みを續け、店屋《みせや》といふと殆ど無いと言つてよい村の廣い本通りを歩かないで、この果物畑の直線の路を通つて、自分の家にかへる。
ところでそれがどれくらゐ私に適《かな》つたものか、惠みの多い、頼母しい、ただし正體の知れない感激が、この場合にひしひしとわたしの心を捉へる。路のうへに湛へてゐる水溜り、四五日前に降つた雪が融けて黒闇々の地上に星影を映してゐるので、それがあるのが僅かに察せられる水溜りに、ヂヤブヂヤブとゴム長靴を下ろしてゆく瞬間に、胸は言ひやうないときめきに攫はれてゆく。
「こんな淋しい果物畑の路を淋しいとも思はず、かへつて無限にたのしいとくらゐに思へるのは不思議なことだ。こんな經驗はあの永い東京生活のなかで、一遍だつて味はつたことがない。これといふのも此處は例によつて自分の生れた土地の地續きだからだ」
といつもの觀念に頭のなかの物が移りこむ。自分の生れた土地といふのは弘前の事で、今私の住んでゐる此の村はその弘前から三里離れてゐる。地續きのお膝下《ひざもと》の村と云つていい。人間と土地とを結びつける神祕的關係、自分の親も嘗つて此の土地を踏み、その親の親たる祖先も嘗つて踏んだのだといふ眼に見えない關係が異常に強く心に働く反射的意識、わたしの頭には十三の年死別れた父親が今のわたしらの年、何かの用事でこんな星闇のおそい晩、ここいらを獨りさびしく歩いたかも知れぬと思ひ、またここから未だ少し北にある村から聟になつてきたといふ祖父が、おなじやうにその一生中の此の年頃に、たけしい心持を懷いてここいら邊を深夜獨り旅したことがあるかも知れぬと思ふ。
大自然はたとへ死物でも、人間が幾代も掛けて作り出す縁故は、人間の意識を不思議な深さまでくり擴げる。これが深夜無人の境地のやうな廣い林檎畠の路をあるいても、わたしを少しも淋しがらせてくれないのである。
[#地から1字上げ]大正十三年十二月・津輕青女子
土地の愛
故郷、故郷! ほかの土地の人間からどんなに詰まらなく見えるところでも、これを故郷とする人間にとつて土地が心に及ぼす作用は異常である。われ等がこの世に初めて生れいでた土地に生えてゐる一と撮みの草だつて一とかけの石
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