も話好きだし又上手である。しかし二十年目でこの話の渦卷きに飛びこんだわたしには、あの車中から見た無人境の景色同樣、「おれはお前の父親同然のもので、父親よりも又お前に縁故の深いものだ」と、わけも解らず強く名乘り出されてゐるやうな氣がした。他郷の環境での二十年間にわたる生活は、わたしの眼と耳とを自分の思つてゐた以上に遠く、全然別に育ててくれたのである。
わたしも他郷へなんぞ行かずに、この土地に居切《ゐき》りで今になるまで育つたら、彼等と同じ言葉を使ひ、同じ表情をし、同じ動作をして夢中に話しあつてゐるのだらう。それが今無理にやると、役者のするやうに空虚な眞似事をするに過ぎなくなる。環境には目に見えない魂があつて、それがその環境の人間のする如何《どん》なものにも現はれてゐるといひ、これを離れると個人はその生活の活力を失ふと、地方主義者のマウリス・バレエスはいふ。
長女を連れて停車場の雪構ひした入口をぬけて、田圃向うの市街を一瞥したり、賣店に行つてキヤラメルや繪本をひろ子に買つてやつたりして、また妻のまへに立つてゐると、すぐ傍の二等室のストーヴに當つてゐた人だかりの中で、いかにも傍若無人のさまで足駄穿きの足をこのストーヴに突き出してゐた男が、のそのそ[#「のそのそ」に傍点]わたしの方にやつて來た。四十近い年配で、黒のインバネスを着てゐた、目をシヨボシヨボ斜視《すがめ》のやうにつかふ癖のある、童顏の大きな男であつた。
「君はX――君ぢやありませんか」とおづおづした聲で訊く。
わたしは弘前へは出直してくるつもりだつたが、早くも見つかつたかと「さすつたナ」といふ氣で、相手をぢつと見た。
「ああさうです。君は?」
「うむ矢張りさうか」と如何にも人が好ささうに笑ひ出して、その特徴のある眼をなほ近づけ、言葉も俄かに土地の言葉になほした。
「忘れダガ。W――だ。W――……」
忘れダガといふのは、忘れたかと云ふ事である。津輕地方語には濁音が多い。
「あつ、W君、青森の?」
「うん」
わたしは硬《こは》ばつた心が急に融ける思ひがして、同じくらゐ背《せい》の高い相手の顏に、感動の眼を見張つた。彼が大學生時代に東京で別れて以來十七八年になるが、よく見誤らずに見當てたものだと驚嘆した。わたしは人並よりは大分背の高い方である。彼もわたしに負けぬくらゐ高い。
「君の評判はよく聞いてゐる。あん
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