年学校に入れたのだそうです。処が規則で縛って置きにくい性質なので、十五の時にとうとう幼年学校から退学してしまったそうです。それから大学にはいっていたことがあるらしいのですが、その間《あいだ》の事は好くわかりません。旅行した国々はロシア、ドイツ、フランス、イタリアです。ロシア趣味はたっぷりその作品に出ています。優しい、情深い、それかと思うと、忽然《こつぜん》武士的に花やかになって、時として残酷にもなるような処があります。そこをショパンの音楽のようだと云《い》った人がありましたっけ。社会というものに対する態度には、トルストイ臭い処もありますね。独逸《ドイツ》ではウォルプスヴェエデの画かき村にはいり込んで、あそこの連中と心安くして、評論を書きました。都会嫌だから、伯林《ベルリン》なんぞには足を留《と》めないらしいのです。尤もハウプトマンは大好《だいすき》と見えます。フランスではロダンの為事場《しごとば》に入り浸りになっていて、ロダンの評を書いたのですが、ロダンを評したのだか、自家の主観を吐露《とろ》したのだか分からないような、頗《すこぶ》る抒情的《じょじょうてき》な本になってしまったのです。
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