わ。わたくしはそれが怖いと存じたのでございます。
画家。まあ。そんな事までいつの間に考えていたのですか。
令嬢。ゆうべ夜通し考えていましたの。(間。)
画家。(あちこち歩き始む。)何もかもノンセンスだ。(間。また歩きつつ。)不思議だ。
令嬢。ええ。不思議でございますとも。この不思議の中に立って、踏み迷わずに、しっかりしていなくってはならないのでございますわ。(画家立ち留る。)ええ。大抵の人なら迷ってしまうかも知れませんわ。そういたして、目のくるめくような楽の急調を、常の日に調べようと致すのでございましょう。しかし舞の伴奏の楽は、ただ歩く時の足取には合うはずがございませんの。不調和な、馬鹿らしいものになり勝でございますわ。お互にそんな事は致したくないのでございますからね。お互に兎に角、翼《つばさ》のある情緒《じょうちょ》を持っている人間なのでございますからね。
画家。そこまで深く考えて見たのですか。
令嬢。ええ、ええ。そんな事は、あなたの方では考えて下さらないという事が、わたくしには分っていましたの。年上でございますからね。(画家|科《こなし》あり。令嬢|徐《しずか》に。)ええ。年上でございますよ。それにきのうとは違いますの。(調子を変う。)しかし兎に角、お互に普通の人間でだけは無い事が分りましたのでございますね。
画家。普通でないとは。
令嬢。新人でございますわ。何んに致せ、あの大勢のいる宴会の中で、隠れ蓑《みの》、隠れ笠《がさ》をでも持っているように致す事の出来た二人でございますから。
画家。おう。そういえばあなたはゆうべも隠れ笠という事を云いましたっけね。
令嬢。ええ。申しましたわ。そんな風になられるまで、因襲の外《ほか》に脱出しているのでございますからね。人のいたのなんぞは、ちっとも邪魔には成りませんでしたわ。今日あたりはきっとみんなで評判を致しているのでございましょう。ミルネル画伯はあの令嬢に大相《たいそう》取り入るようだったなんぞと云っているのでございましょうよ。あしたあたりおばの処へ参りますと、おばがきっと、ミルネルさんが訪問においでなさりそうなものだなんというのでしょう。そう致してあなたがおいでなさりはなさるまいかと二週間位は心待《こころまち》に待つのでございましょうよ。(笑う。)わたくし共が二十年も御一しょに暮した事は、おばさんは知らないのですからね
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