致すと思召《おぼしめ》していらっしゃいましたの。
画家。どうすると言ったって知れているではありませんか。あなただって同じ事でしょう。
令嬢。わたくしには分っていますの。ただ伺いたいのは、あなたがどう思っていらっしゃったかという事でございますの。
画家。わたしはただ今日から二人の生涯が始まると予期していたばかりです。
令嬢。その始まる生涯と仰ゃるのは。
画家。あなたとわたくしとの、これから渡って行く生涯です。
令嬢。おや。それではあなたはもう一遍二人の生涯を生きて見ようと仰ゃいますのでございますか。
画家。なるほど。そういえば、きのう一つの生涯を送ったと見做《みな》せば見做されない事はないでしょう。もしきのう一つの生涯が済んだなら、その済んだ生涯を続けて、押し広めて行かなくてはならないでしょう。それが本当に生きるというものでしょう。
令嬢。まあ。もう一|度《ど》生きられるものだと思召していらっしゃるの。
画家。(一歩退く。)ふん。どう思っておいでなのですか。
令嬢。でも二人が生涯にする程の事は、何もかもきのう致してしまったのではございますまいか。(画家は相手を凝視しいる。令嬢は相手の目の内に現われたる怪訝《かいが》、恐怖を排し去らんとする如く、拒む手付を為して。)御覧なさいまし。只今《ただいま》のあなたの恐しくお思いあそばす、そのお心持《こころもち》が、丁度昨晩のわたくしの心持と同じなのでございますよ。丁度只今のあなたのように、昨晩はわたくしが恐しく存じましたの。
画家。(張《はり》のなき声にて、ようよう。)恐しく。
令嬢。ええ。恐しゅうございました。あなたが少しもお立ち留りなさらずに、わたくしを引き摩《ず》って、空《そら》を翔《か》けるような生活の真中《まんなか》へ駈込んでおしまいなさったのですもの。過去も、現在も、未来も一しょになって分らないような生活の中へ、燃え上っている大きな焔《ほのお》の中の薪《たきぎ》のように、わたくしはあなたが用捨《ようしゃ》もなく、未来に残して置かねばならないはずの生活までを、ただ一刹那《いっせつな》の中に込めて、消費しておしまいなさるのを、どんなにか惜く思いまして、あなたのお手に縋《すが》ってお留《と》め申したいように存じましたが、致し方がございませんでした。わたくしの心持では、こう申したいのでございました。まあお待ち下さいまし。ここ
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