ぎ合って入日の方に向いて行くのが、暗い形に見えるのだ。多くは自分の輪廓《りんかく》に圧《お》されているように背中を曲げている。その事を話すとお嬢さんが云ったっけ、地平線に行って山にでもなってしまいそうな風に歩いて行くのでしょうねと云ったっけ。実によく呑込《のみこ》めたものだ。己の思っている人物は地平線の方に行って山になってしまいそうな形《かたち》に相違ない。(間。)それから、も一つこんな絵の事を話したっけ。画題は基督《キリスト》というのだ。己がその事を言い出すと、半分いわせずにお嬢さんがそういったっけ。人物ではないでしょう。風景でしょう。期待が当来を知らせるのでしょうと、そういったっけ。おい。マッシャ。かけるような気分に早くなって見たいなあ。(両手を拡げて未来を掻《か》き抱《いだ》く如き振《ふり》をなす。)
モデル。そうですね。実行が一番難しいのですね。
画家。そうだて。やる時は暴力でやるのだ。その日の朝だって、あたりまえの朝と変った事はないのだ。詩人なら机に向く。画かきなら画架に向く。そして出し抜けに未曾有《みぞうう》の事を決行するのだ。一体は沈黙の内でなくては思量せられないはずの事を、言語に現わし色彩に現わすのだ。言語で言えば、丁度熱心に、大声で、息をはずませて、人が千人も前に立っていて、その詞を飢えたものが麪包《パン》を求めるように求めている積《つもり》で、語り出すような工合に。
モデル。(ほとんど聞えざるほどの小声にて。)千人の人が待っているより、もっと切に待っているものがございますの。
画家。でもお前なんぞにはよくは分るまい。(疲れたる如く、手を額に翳《かざ》す。)
モデル。(徐《しずか》に。)それはどうせよくは分りませんわ。
画家。もう行くかい。(絵具入《えのぐいれ》の箪笥《たんす》に歩み寄り、紙巻を一本取りて火を付く。)そんなら暫《しばら》く合わないかも知れないよ。ヘレエネがもう来るはずだ。お前に用がある時が来れば、そういってやるよ。
モデル。わたしに御用がおありなさる時と仰ゃるのですね。
画家。うむ。葉書をやるよ。(握手せんとして手を差伸ぶ。握手。)冷たい手だな。(初めて気の付きたる如く顔を見る。)今日は大変に血色《けっしょく》が悪いよ。ゆうべ寐《ね》なかったのかい。
モデル。ええ。少ししきゃあ寐ませんでしたの。
画家。(握りたる手を放し、上《うわ》
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