や人家の工合では、その近くに電車の終点があろうなどとはちょっと思えなくもあった。どこかほんとうの田舎じみた道の感じであった。
――自分は変なところを歩いているようだ。どこか他国を歩いている感じだ。――街を歩いていて不図《ふと》そんな気持に捕らえられることがある。これからいつもの市中へ出てゆく自分だとは、ちょっと思えないような気持を、自分はかなりその道に馴《な》れたあとまでも、またしても味わうのであった。
閑散な停留所。家々の内部の隙見える沿道。電車のなかで自分は友人に、
「情旅を感じないか」と言って見た。殻斗科《かくとか》の花や青葉の匂いに満された密度の濃い空気が、しばらく自分達を包んだ。――その日から自分はまた、その日の獲物だった崖からの近道を通うようになった。
それはある雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。
いつもの道から崖の近道へ這入《はい》った自分は、雨あがりで下の赤土が軟《やわらか》くなっていることに気がついた。人の足跡もついていないようなその路は歩くたび少しずつ滑った。
高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思った。
傾斜についている路はもう一層軟かであった。しかし自分は引返そうとも、立留って考えようともしなかった。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、既に、自分はきっと滑って転《ころ》ぶにちがいないと思った。――途端自分は足を滑らした。片手を泥についてしまった。しかしまだ本気にはなっていなかった。起きあがろうとすると、力を入れた足がまたずるずる滑って行った。今度は片|肱《ひじ》をつき、尻餅をつき、背中まで地面につけて、やっとその姿勢で身体は止った。止った所はもう一つの傾斜へ続く、ちょっと階段の踊り場のようになった所であった。自分は鞄《かばん》を持った片手を、鞄《かばん》のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本気になっていた。
誰かがどこかで見ていやしなかったかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞台で一人滑稽な芸当を一生懸命やっているように見えるにちがいなかった。――誰も見ていなかった。変な気持であった。
自分の立ち上ったところはやや安全であった。しかし自分はまだ引返そうともしなかったし、立留って考えてみようともしなかった。
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